ある人がミケランジェロにピエタやダビデ像のような偉大な彫刻品をどうやって作ることができたのか尋ねた。返答はこうだ。「私は大理石の中に彫刻の像を想像し、余分の大理石をそぎ落とし、本来存在していたものを取り出したにすぎない」
世界的な精神医学者のエリザベス・キューブラー・ロスと教え子のデビッド・ケスラーは、ミケランジェロの話を人間の本質に対する美しい隠喩として受け止める。「本来のあなたは最も純粋で、完全な存在です」。見ることはできないが、自分の中に取り出してもらうことを待つ「偉大な存在」があるということだ。
精神科医の彼らが、ミケランジェロの話をしばしば引用する理由は、自己卑下や絶望に陥った人々を慰めるためだ。彼らは、人間本来の純粋な自我が「現実においてかぶっていなければならない仮面と役割で隠れている」と考える。慈悲深い親、誠実な職員、模範生、孝行息子、娘といた役割が岩のように自我を抑えつけているというのだ。これが彼らの癒し理論の核心だ。彼らは全てのことを一人で引き受けなければならないという重圧感と恐れ、否定的な考えを追い払い「しなければならない」ことではなく「したい」ことをするよう助言する。そして、私たちは私たちが理解できることよりも特別で、偉大な存在ということを悟らせる。心を偉大な存在を抱いている一種の石と考え、ミケランジェロがそうしたように余分な部分をそぎ落とせということだ。そうすれば、絶望や自己卑下から脱することができるという。それでも私たちに与えられた役割を思いのままに放り出すことはできず、そのような方法ですべての傷が癒されることはないが、偉大な存在が私たちの中で私たちを待っているという考えは慰めになる。心の余分な部分をそぎ落とせば、偉大な存在が現れると想像するだけでも慰めになる。人間性に対する不信と懐疑、冷笑に満ちた時代を生きているので、なおさらそうかもしれない。
文学評論家・全北(チョンブク)大客員教授