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曺秀美氏の「音楽の源」、母親が死去

Posted August. 09, 2021 08:32,   

Updated August. 09, 2021 08:32

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「子どもの頃、母は1日8時間ずつピアノを練習するようにとドアに鍵をかけていたので、ずいぶん恨みました。後になって理解するようになりました。今の私を作ってくれたのは、ほかならぬ母親ですね」(曺秀美、2019年のアルバム「マザー」の記者懇談会より)

世界的なソプラノ歌手、曺秀美(チョ・スミ)を育てた母親のキム・マルスン氏が8日午前、死去した。享年85歳。故人は約10年数前にアルツハイマー病の診断を受けた後、病院で生活してきた。曺さんは2019年、母親への感謝の気持ちを込めたアルバム「マザー(Mother)」を発表し、今年5月8日の両親の日は感謝の気持ちを込めたリサイタル「私の母」を、ソウル芸術の殿堂のコンサートホールで開催した。

2004年、東亜(トンア)日報とのインタビューで曺さんは、「幼い頃、町の大人から『あの子は何かを叩かなければ長生きできない』と言われ、両親が貧しい暮らしの中でもピアノをやらせた」と振り返った。母親のキムさんも、若い頃、声楽家が夢だったので、曺さんが声楽に才能を見せた瞬間、将来が決まった。曺さんは、「母はソプラノのマリア・カラスが好きだった。私は何でも言われた通りに頑張ったが、その中でも声楽は母と私にとって特別だった」と話した。

ソウル大学在学中、母親と師匠の勧めでイタリア・サンタ・チェチーリア音楽院に留学した曺さんは、1987年、世界的指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンのオーディションを受け、ザルツブルク音楽祭で公演するヴェルディの「仮面舞踏会」のオスカー役にキャスティングされ、世界的プリマドンナに浮上した。そんな彼女にとっても、母親は最も怖い批評家だった。ある放送で曺さんは、「母は一度も私によくやったと言わなかった。『今日は夕ご飯を食べてないの? 何だか高音が足りなかったような気がする』というふうだった。最も恐ろしい批評家だった」と振り返った。

2003年に政府が授与する「芸術家の立派な母親賞」を受賞した故人は、2006年に曺さんの父親がこの世を去った時、「葬儀に来ないで、(予定された)フランス・パリ公演を頑張ってほしい」と勧め、意志を貫かせた。当時、曺さんはパリのシャトレ座で開かれたコンサートで、観客に父親の死去を知らせ、コンサートを最後まで終えた。

曺氏のマネジメントを担当しているSMIエンターテインメントの関係者は、「曺氏は海外で活動する間も、『音楽に関する記憶が最も長く続く』という学説に従い、アルツハイマー病で記憶を失いつつある母親のために、電話で歌を聞かせたりもした」と伝えた。SMIエンターテインメント側は、「曺氏は現在、イタリア・ローマにおり、新型コロナウイルス対策による自主隔離の問題で、韓国入りして葬儀を行うことができない事情がある」と明らかにした。

遺族には曺秀美氏のほか、チョ・ヨンジュン(SMIエンターテインメント代表)、ヨング氏(事業)がいる。遺体安置所は三星(サムスン)ソウル病院葬儀場、出棺の10日午前7時。遺族側は、「弔問客の健康と安全のため、弔問は丁寧に断る」と明らかにした。


ユ・ユンジョン記者 gustav@donga.com