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この家族が認知症に向き合う方法

Posted August. 14, 2021 08:30,   

Updated August. 14, 2021 08:30

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その日の娘の日記はいつもより少し長かった。母親に「今日家に行く」と電話したが、理解していないようだ。電話を切るやいなや、また電話がかかってくる。「来るって、今日なの?」。その日、娘が書いた日記はこう始まる。「やっぱり母さんがおかしい」

平凡だった家庭に「認知症」という招かれざる客がやって来た。最初は父親も娘もどうしていいかわからず、あたふたした。最も苦しいのは認知症の当事者だ。自分がおかしいということを自覚した母親は、「ぼけてしまった。荷物になる。死にたい」と繰り返し、泣き叫んだ。

 

母親の認知症で、否が応でも生活の変化を受け入れるほかなくなった家族。娘は状況を否定して回避するよりも、むしろ悲しい状況を映像日記に残すことにした。数年が経って迎えた2017年の正月。普段から自虐ギャグが好きだった母親は娘に、「今年はぼけますから、よろしくお願いします」という新年の挨拶を言った。娘が撮った映像日記はドキュメンタリーで制作され、18年に上映された。

本は娘が父親とともに認知症の母親の世話をして記録した愉快な介護記だ。著者は07年、自身の闘病をセルフドキュメンタリーで記録したフリーの映画監督。映像に収めることができなかった瞬間やエピソードを紹介し、感じたことを淡々と文にした。普段包丁を一度も握ったことのない90代の父親が主婦に変身した姿や両親のつまらない口げんかが温かく描かれる。

 

著者は一歩下がってこれを観察する。「人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇だ」というチャーリー・チャップリンの言葉に共感しながらも、「認知症は、母を徐々に変貌させることで長い別れを準備させる『神のやさしさ』とも話した。母親はその後、病状がひどくなり、介護医療施設に入院することになる。著者は感情を過剰に表現するのではなく、淡々と家族愛を語る。常に思い合った家族だったことを・・・。重症認知症の母親は今も娘が病室に来ると、彼女の名前を大声で呼ぶ。「直子!」


キム・ギユン記者 pep@donga.com