「ユン総務、何をしているんですか。日本がこんなにやりたい放題なのに、なぜじっとしているんですか。私をすぐに(記者会見に)呼んでください」
1991年8月13日、旧日本軍の「慰安婦」だった故金学順(キム・ハクスン)さんは、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協、現・正義記憶連帯)のユン・ヨンエさん(78・当時韓国教会女性連合会総務)に電話をかけ、このように話したという。翌日14日に開かれた記者会見で金さんは、「慰安婦として苦痛を受けた私がこのように苦しんで暮らしているのに、日本は慰安婦を連れて行った事実がないと言い、韓国政府は知らないと言うことが話になりますか」と訴えた。
政府は2017年、金さんが韓国で初めて慰安婦被害を世の中に伝えた8月14日を「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」に定めた。
ユンさんは14日、金さんの証言から30年が経ち、14日に正義記憶連帯(イ・ナヨン理事長)が開催したトークコンサート「私が記憶する金学順」で、金さんが証言するに至った過程を詳しく紹介した。ユンさんは1991年4月、駐韓日本大使館が、「(慰安婦を)認めることはできない。証人が出てくるならいざしらず」と頑なな態度を示すと、元慰安婦をうわさをたよりに捜し、同年7月に金さんを紹介された。
ユンさんは訪ねてきた金さんの姿を思い出し、「白い服を着た金さんの目は童話に出てくる子鹿のバンビの目のように怯えていながらも輝いていた」と振り返った。当時、金さんは「証言するよう言われて迷ったが、『なぜひどい苦痛を受けて、今まで生きてきたのか』と自問し、『私の痛みと歴史的事実を明らかにし、後世の女性たちはこのようなことに遭わなければいいというのが天の思し召し』と思った」とユンさんに話したという。
金さんは17歳の時に強制的に連れていかれ、3ヵ月間、被害に遭ったことを打ち明け、「すっきりした。私を使ってこのことを世の中に伝えて」とユンさんに頼んだ。それから1ヵ月後、金さんは記者会見に出て、慰安婦について証言した。これを機に挺対協に元慰安婦たちから多くの連絡が寄せられ、政府はこのうち238人を元慰安婦に登録した。多くが「テレビで(金学順さんが)話すのを見て勇気を出した」と話した。
金さんの初めての証言から30年が経った今、元慰安婦の生存者は14人だけだ。女性家族部などは、人工知能(AI)技術を活用して市民が対話できるプログラムを開発し、最近公開した。女性家族部の日本軍「慰安婦」問題研究所と西江(ソガン)大学の「永遠の証言チーム」は6月15日から11月30日まで、ソウル麻浦区(マポク)の西江大学と大邱中区(テグ・チュンク)「ヒウム日本軍慰安婦歴史館」で「永遠の証言」展示を行う。
この展示では、李玉善(イ・オクソン)さん(94)と李容洙(イ・ヨンス)さん(93)の証言が録画されているAIプログラムに市民が質問すれば、それに合った証言映像を見ることができる。記者が映像の中の李玉善さんに「どのように慰安婦に連れていかれたのか」と尋ねると、イさんは手を動かして、「家政婦をしていた時、お使いに行く途中、連れていかれた」と答えた。李容洙さんもAI映像で、「陸橋に行くと、軍人が私を押して下りようと言った。冗談かと思った。16歳で汽車に初めて乗った」と当時の状況を説明した。
主催側は11月まで試験展示をした後、修正点を改善し、世界の主要国で展示を開催する予定だ。
▲「AIで会う元慰安婦の証言」映像はdongA.comで見ることができる。
パク・サンジュン記者 speakup@donga.com