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生き地獄になったイカダ

Posted August. 19, 2021 08:42,   

Updated August. 19, 2021 08:42

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1819年、パリのサロン展は、1枚の絵のために大騒ぎになった。歴史や神話の中の英雄の物語ではなく、実際に起きた遭難事件を扱った作品のためだった。メデューズ号の悲劇をリアルかつ悲惨に描いたこの絵がまさにその主人公だ。いったい、メデューズ号では何が起こったのだろうか。

1816年7月2日、アフリカ・セネガルを植民地にするために派遣されたフランス海軍軍艦メデューズ号は、暗礁に乗り上げて難破した。400人を乗せた軍艦の船長は、ショマレーという名の海軍将校だった。経験もなく無能だったが、王の側近という理由で任命された天下りだった。さらに、金を受け取って定員外の人をさらに乗せた。

船が沈没する前、乗組員たちは急いで救命ボートに乗り込んだ。船長が真っ先に脱出した。ボートに乗れなかった残りの149人は、イカダを作らなければならなかった。補給品のない状況で嵐に遭ったイカダは、生き地獄になった。飢餓、脱水、疾病、暴動、狂気、殺人、自殺、果ては食人行為まで起った。13日間の漂流の末に救助された生存者は15人だけだった。

27歳の画家テオドール・ジェリコは、メデューズ号事件を画幅に収めて永遠に記録しようとした。彼は生存者が救助された日を再現した。遠くに救助船が見えると、イカダの前方の人々は希望に満ちてタオルを力いっぱい振っている。一方、遺体のあるいかだの後ろは絶望に満ちている。膝の上に息子の遺体を乗せた老人は、すべてを諦めた様子だ。ジェリコはこの絵を描くため生存者にインタビューし、大工を雇ってイカダの模型を作り、遺体を観察するために遺体安置所まで訪れた。徹底した準備を経て製作された絵は衝撃そのものだった。

絵画が公開されると、怒りと賛辞が同時に殺到した。事件を隠蔽しようとした王と政府官僚は当惑した。200年前の絵が依然として胸に響くのは、腐敗した指導者が率いる国は、結局メデューズ号のように破局を迎えるという教訓を与えるからだろう。

美術評論家