「私がカブールを離れるとは信じられない。私はここで学校に通い、初めて職を得て、父親になった」。彼はこのように話し、詩を暗唱した。「屋根にきらめく月は数えられず/壁の後ろに隠れている千の輝く太陽を数えることもできない」。カブールの美しさを歌った17世紀のペルシャ詩人、サイブ・タブリージの詩だった。彼は、以前は全て覚えていたが、今は2行だけしか思い出せないとし、むせび泣いた。彼がそのように愛するカブールを離れ、パキスタンに行くことにしたのは、2人の息子を戦場で亡くしたが、このままでは娘まで失うと思ったからだ。しかし、カブールを離れる日の朝、砲弾が飛んで来て爆発し、上の階にいた彼と妻は死に、下にいた娘だけが辛うじて生き残った。
カーレド・ホッセイニの小説「千の輝く太陽」は、こうして孤児になった少女とまた別の数奇な運命の女性の話を交差させる。ストーリーは、残酷な戦争や政治ではなく、2人の女性の孤独な人生と涙、人間愛に焦点を合わせる。「千の輝く太陽」という題名は、「戦争と暴力と狂気の中でも生き残ったアフガン女性たちの内面」の隠喩だ。
タリバンが政権を握り、ホセイニの小説が再び注目を浴びている。しかし、彼は自身をアフガンのスポークスマンと思わないでほしいと言う。カブールで生まれたが、1980年に米国に亡命して暮らしてきたので、政治的な見解に限界があるという謙虚な告白だ。それゆえ自身の小説では政治ではなく人間を見てほしいということだ。同様に彼は、テレビに出てくるタリバン、テロリズム、原理主義、麻薬、女性に対する暴力、混乱するカブール空港といった否定的なイメージに振り回されず、アフガニスタンが「美しく謙虚で好意的で魅力的な人々が暮らす美しい国」ということを忘れないでほしいと話す。戦争の暴力と狂気を耐え抜き、これからも耐え抜くアフガンの人々、彼らの内面にある輝く太陽を見てほしいということだ。