世間を知らなかった若い頃、どうして本当の悲しみを実感できるだろうか。それらしい詩句を探して、心配事が多いように振舞ったにすぎない。人生で艱難辛苦を経験した後に抱く悲しみこそ真の悲しみだと言えるだろう。しかし、本当の悲しみを知った今、生半可にそれを口にすることは、むしろ恐ろしく慎重になる。やるせない思いを吐露しようとしたが、突然「さわやかで良い秋の日よ」とひとこと言って、かんぬきをかける。その理由は何か。
南宋の朝廷は当時、中原地方を占める女真族の金と和解するか、故郷を取り返すために決死の抗戦をするか葛藤した。主和論に大勢が傾き、主戦派だった詩人は僻村に追いやられた。愛国的情熱をテーマに多くの作品を書き、実戦の経験もある武装として、詩人が味わった挫折は相当なものだっただろう。現実に安住しようとする主和派に対する失望と怒り、その限りない悲しみを詩人は空に向かって叫び、昇華しようとしたのだろうか。反語的な叫びは、それゆえすさまじい慟哭のように響き渡る。
「醜奴兒」は、詞という韻文ジャンルの曲調名で、形式を規定するだけで内容とは関係がない。台湾の歌手テレサ・テンが「欲說還休」という歌で歌い、馴染みがある。