「9・11の詩人」と呼ばれる詩人がいる。「傷ついた世の中を賛美せよ」という詩でこの20年間、多くの読者から愛されたアダム・ザガエフスキだ。しかし、彼は米国人ではなくポーランドの詩人だ。その詩も9・11が起きる1年半前に書かれた。彼が父親とともにウクライナのリヴィウを訪れた経験を詩にした。
リヴィウは、以前はポーランドの領土だった。しかし、ポーランドは1945年のヤルタ会談の結果、リヴィウをウクライナに渡し、敗戦国ドイツの領土の一部を補償として受けた。詩人の家族を含む住民たちは、代々暮らしてきた故郷を追われ、「失郷民」となった。故郷はもはや他国の地となった。途方もない傷だった。
歳月が流れ、父親とともに約50年ぶりに訪れた故郷の家は、雑草が生え、廃虚と化していた。それでも詩人の目に映った故郷は美しく、日差しは暖かかった。彼の詩が「傷ついた世の中を賛美せよ」という言葉で始まる理由だ。しかし、壊れ、つぶされ、傷ついた世の中をどのように賛美することができるだろうか。彼は美しい記憶と思い出に浸ろうと言う。豊かな大地とのどかな夏の日、音楽が鳴り響く音楽会、愛する人々と共にいた輝かしい瞬間、秋に公園でドングリを拾った日。そのような記憶がある限り、世の中は依然として美しいということだ。廃虚の中でも。
米国人は9・11テロを体験し、絶望した。彼らは挫折し、世の中のすべての光が消えたようだった。その彼らに、詩人の温かい言葉は慰めになった。「やわらかい光は道に迷って消え、また戻って来る」。彼らを慰めたのは、怒りと復讐心で満たされた政治家の言葉ではなく、傷ついたものを慰める「廃虚の詩人」と呼ばれる異邦人の温かい目だった。「傷ついた世の中を賛美しなければならない」。何の関係もなくても、彼が「9・11の詩人」と呼ばれる理由だ。