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武寧王陵発掘に携わった研究者が振り返る「拙速発掘の痛い記憶」

武寧王陵発掘に携わった研究者が振り返る「拙速発掘の痛い記憶」

Posted September. 14, 2021 08:29,   

Updated September. 14, 2021 08:29

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「1973年に天馬塚を発掘したとき、2年前の武寧(ムニョン)王陵での拙速さが脳裏に深く突き刺さりました」

13日に国立公州(コンジュ)博物館で取材に応じた池健吉(チ・ゴンギル)元国立中央博物館長(写真)は、「予想外の完全墳墓(盗掘されなかった墓)の発見に調査員たちはみな精神が乱れた」と武寧王陵の発掘状況について振り返った。丸2日間で数千点の遺物を収拾した武寧王陵の発掘を反面教師にして、それから2年後の天馬塚発掘の時は体系的な調査が行われたという。1970年代の国策発掘事業の始まりとされる天馬塚の発掘は、約1年にわたって行われた。池氏は、「武寧王陵もつぶさに発掘していたら、天馬塚ほど時間がかかったはずだ」と語った。

発掘報告書などによると、1971年7月5日午前10時30分、公州・松山里(ソンサンリ)古墳群の排水路工事の途中、偶然、武寧王陵が発見された。それから2日後の7日午前、発掘に入り、翌日午後10時から遺物の収集を始めた。発掘団は一晩中、約5000点の遺物を袋に集め、外部に移した。この作業がすべて終了したのが9日午前9時。発掘に取り掛かってから2日後のことだった。このため、一部の遺物は正確な出土位置が分からず、性格を究明するのに困難を来たしている。墓の床からたくさん運び出された数多くの金属飾りが代表的だ。

池氏は武寧王陵の発掘当時、28歳の文化財研究室(現国立文化財研究所)所属の学芸研究士だった。発掘団長であり国立博物館長だった金元龍(キム・ウォンリョン)教授は、池氏のソウル大学考古学科の師匠でもあった。池氏は「何か間違っていると思ったが、あの時は神様のような師匠に『一つ一つ調査しよう』と直言するのは簡単ではなかった」と打ち明けた。

武寧王陵の発掘成果に関する解釈は、依然として現在進行形と言える。発見された遺物を科学的に分析することにより、新しい事実が明らかになった。池氏は「2001年から遺物についての精密調査が行われ、『新報告書』の発刊につながった。発掘過程で残念だった部分を少しでも埋められることができてよかった」と話した。さらに数年前、慶州月城(キョンジュ・ウォルソン)の発掘速度戦とあいまって、「学術発掘が着実に行われる制度が必要だ」と強調した。


慶州=キム・サンウン記者、イ・ギウク記者 sukim@donga.com