私たちがこの詩に止まらなければならない理由は満ち溢れるほどある。最も即刻的な理由は、今が秋であるということだ。「秋が空から降りてきた」という第一節は、この季節に理解できないわけがない。
この詩は、詩人のイ・ヨンユさんの最後の詩集に載っている。中でも最後のページに載っている。詩の作者は、がん闘病中に作品を書き下ろした。そして詩集が出たとき、イさんはこの世にいなかった。このような事情を知ると、「私を葬る」という詩がなぜ最後の詩集、最後のページにいなければならなかったのか理解できる。詩人の後輩は、主人を失った遺稿を選んで詩集をまとめたが、後輩がどんな気持ちだったのか推し量れるものがある。「私はイ・ヨンユのように徹底的に壊れた人間は見たことがない。彼は詩を壊し、人生を台無しにし、最後に体を滅ぼした。彼は失敗者だ」と解説した。解釈すれば、イさんは骨髄まで徹底的に詩人だったということだ。この解説を書いた後輩は、詩人を本当に愛した人だなと、彼の作品を大事にしていたことが分かる。
ある失敗者がこの世の最後の日、こんな詩を書いた。あんなに美しいものばかり目に入れた。きらびやかなものを積み上げて、その下に身を横たえた。詩を見ながら考えざるを得ない。果たして失敗とは何であり、成功とは何か。私たちは本当に成功を望んだのだろうか。