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5・18当時に新軍部の発砲命令を拒否した故安炳夏治安監、33年ぶりに光州で追悼式

5・18当時に新軍部の発砲命令を拒否した故安炳夏治安監、33年ぶりに光州で追悼式

Posted October. 11, 2021 07:23,   

Updated October. 11, 2021 07:23

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5・18民主化運動当時、新軍部の発砲命令を拒否して拷問を受けた後、後遺症で亡くなった故安炳夏(アン・ビョンハ)治安監の追悼式が33年ぶりに光州(クァンジュ)で行われた。

安炳夏記念事業会は9日、光州の旧全羅南道(チョンラナムド)道庁で33周忌の追悼式を行い、安治安監の犠牲精神を称えた。イ・ジュヨン事務局長は、「市民の命を守るために犠牲となった故人のために、光州で追悼式を行うことにした」と語った。遺族を代表して息子のホジェさんは、「父は8年間、拷問後遺症で闘病し、市民と同僚、家族を守ることができなかったと苦しんでいた」とし、「市民を守ろうとした警察官の業績を再評価する小さな記念碑でも建ててほしい」と訴えた。記念事業会は10日、ソウル銅雀洞(トンジャクドン)にある国立ソウル顕忠院(ヒョンチュンウォン)の警察墓地でも追悼式を行った。

陸軍士官学校第8期(陸士第8期)の安氏は、韓国戦争当時、春川(チュンチョン)戦争と忠清北道陰城(チュンチョンブクト・ウムソン)の同樂里(ドンラクリ)銭湯での功績が認められ、花郎(ファラン)武功勲章を授与した。1962年に警察官になり、1980年の5・18当時、全羅南道警察局長(現全南警察庁長)を務めながら、新軍部の強硬排除の指示と発砲命令を拒否し、負傷した光州市民を治療した。新軍部は、安氏を職位解除後、軍保安司令部に連行して拷問し、その後遺症で闘病したが1988年10月10日に死亡した。


李亨胄 peneye09@donga.com