安重根(アン・ジュングン)義士の甥の妻、パク・テジョン夫人が23日、死去した。享年91歳。
故人は、安義士の甥であり夫のアン・ジンセン氏が埋葬されている京畿道龍仁市(キョンギド・ヨンインシ)のカトリック墓地に25日、埋葬された。故人は、夫が1988年に先に世を去った後、約30年間、貧困と病魔と戦ってきた。7月に肺炎で病状が悪化し、3か月後に死亡した。遺族らは経済的余力がなく、遺体安置所を設けることができなかった。故人の最後の道は、取材陣を含む弔問客16人と花輪2つが全てだった。
故人は、ソウル大学英文科3年に在学中に外資系会社に勤め、 安重根義士の弟の安定根(アン・ジョングン)義士の息子ジンセン氏と1954年に結婚した。当時、故人は教授顔負けの英語とフランス語の実力が優れた才媛だった。ジンセン氏は、イタリア・ジェノマ工学大学で韓国人初の造船工学博士号を取った。
夫のジンセン氏は1962年に外交官生活を始め、故人と2人の娘も海外で長く暮らした。しかし、ジンセン氏が1980年、外交安保研究院本部大使を務めていた時に、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権によって強制解雇され、脳梗塞を発症したため、経済的事情が苦しくなった。集めた財産をほとんど治療費に使ったという。
ジンセン氏は、「父の独立運動の業績でわたしが得をするわけにはいかない」とし、独立運動の叙勲などに消極的だったという。しかし、故人は夫の看病をし、舅の独立運動記録を探して関係機関に提出するなど積極的に取り組んだ。故人の努力により、安定根義士は1918年、大韓独立宣言書署名などの功績が認められ、1987年、独立章を叙勲された。
ジンセン氏が闘病の末、1988年に死亡すると、故人を含む家族は生活苦に陥った。これといった職業や所得がなく、基礎年金や家計支援費などを含めた約100万ウォンが、故人と2人の娘、孫娘のウ・ソンファさん(35)まで4人家族の1カ月間の生活費だった。
故人の終の棲家は、ソウル陽川区(ヤンチョング)の49平方メートル(15坪)の賃貸マンションだった。これさえも、ソウル住宅都市公社(SH)から賃貸料を引き上げると言われれば、差額を支払うことも困難で、周辺に助けを求めざるを得なかったという。故人の孫娘ソンファさんは、「周りの人に助けられたり、家を担保に借金してもらうやり方で生活してきた」と話した。
この日の出棺式に訪れたとある親戚は、「故人の家族は、安重根義士の遺族の間でも『痛い指』だった。とても貧しく暮らし、家族が助けの手を差し伸べたほど」と伝えた。2017年、東亜(トンア)日報に故人家族の気の毒な事情が伝わると、篤志家が家を寄付すると言ったが、故人は「もっと貧しい人たちに使ってほしい」と断った。
故人は、安重根義士の義挙日(10月26日)112周年を3日後に控えて死去した。故人の長女キスさんも今年3月にこの世を去り、安定根義士の家族は故人の次女キリョさんとソンファさんの2人だけが残った。生前、故人を支援してきたイ・ジョンス延世(ヨンセ)大学教授は、「故人が一生大切にしてきた安重根、定根兄弟が撮った写真フィルムを受け取って特殊現象を試みている。二人の義士の遺体も収拾されていない状況で、重要な史料になるだろう」と語った。
龍仁=ユ・チェヨン記者 ycy@donga.com