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菊の話

Posted November. 12, 2021 08:40,   

Updated November. 12, 2021 08:40

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黄色い花びらを咲かせようと力を振り絞る菊を見て、未堂はコノハズクの凄然な鳴き声や暗雲の雷、冷たい初霜を耐えた忍苦の瞬間を思い出した。流れる開花までの時間を一つ一つ捉え、詩人はその忍苦の痛みを共にしたかったのだろう。それだけだろうか。古くから菊は志操の士人、高潔な隠者の形状に例えられたりした。古い時調「菊よ、お前は三月の東風を過ぎ、/落木寒天でも独りで咲いたのか/おそらく傲霜孤節はお前だけだろう」(李鼎輔)がその歌だ。開花のシーズンのほぼ最後にしがみつく菊の属性に着眼し、詩人は冷たい霜にも屈することなく強く耐え抜く菊の強靭な生命力に賛辞を送った。

唐の王朝の没落の決定的な契機になった「黄巣の反乱」を主導したまさにその人物、黄巣が見た菊の風貌は異質のものだ。彼には菊は、庭いっぱいに咲いたものの、よりによって非常に寒い季節に花と香りを出したため蝶も寄ってこない孤独の表象に映る。この疎外された存在を慰める方法は何だろうか。詩人は、春を主導する神であり花の神でもある青帝になって、菊のために百花斉放の中に1ヵ所設けることを約束する。農民の反乱を主導した人物らしく、すべての疎外された人々に配慮するという野心に満ちた気概を暗示したのだろうか。さもなければ時の運がない鬱憤をしずめようとする自慰の叫びだろうか。

成均館(ソンギュングァン)大学名誉教授