城の外の橋に停泊した船の中で一夜を送り、客愁に浸る詩人。月の光まで消えた闇に烏の鳴き声が響く。霜が全てを覆い、魚釣りの船が照らす漁火の明滅の中に薄暗く紅葉の葉がちらつく。この時、船べりに広がる山寺の鐘の音、一夜の闇と静寂を破る鐘の音に詩人の憂いは終わりなくただ深まる。ゆらゆら揺れる夜船に泊まり、やるせない眠れぬ夜に向き合わなければならなかった理由は知る術もない。科挙に落ちた後、苦々しい帰郷の道、さもなければ戦乱の後、他郷を転々とした下級官吏の郷愁など憶測だけが入り乱れる。
姑蘇城は中国江南の代表的な水郷である蘇州の旧名。マルコ・ポーロが「東洋のベニス」と呼んだに相応しく、都市全域に水路があり、小さく精巧な橋が多い。楓橋はこの詩に登場した後、有名になった。「300の美しい橋が水の故郷に輝くが、詩ではただ楓橋だけが有名だ」(明代の詩人・高啓)という詩がこれを証明する。この詩の知名度を高めたのは、宋代の欧陽脩。彼は寺では夜に鐘を打たないのに、張継が良い詩句に欲を出したと批判した。しかし、「真夜中の打鐘」はよくあることだった。大文豪の誤った指摘がかえって世人の関心を増幅させたのだ。
成均館(ソンギュングァン)大名誉教授