壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時、宣祖がソウルを捨てて避難すると、全国の民が衝撃を受けた。正確な統計は見つけることができないが、士大夫(したいふ)の中にも宣祖の行動を非難する人がかなりいたようだ。
宣祖に対する当時の評価はどうだっただろうか。士大夫だった呉希文(オ・ヒムン)は、「宣祖は大きな過ちのない熱心に務めた王だったのに、なぜこのような災難が起きたのか」と反問する。彼だけの考えだったのか。
宣祖が民に下した教書がある。熾烈な自己反省と謝罪だと思うかもしれないが、全くそうではない。むしろ民をとがめる。むろん、いくつかの些細な過ちは認めている。しかし、もっと大きく叱責する。「外敵がやって来て領土を奪おうとしているのに、戦わずに隠れて逃げるとはなにごとか」といった具合だ。
「民が戦わないのは、民心が離れたためではないか」という考えは当時もあった。しかし、民心離れの理由をこのように診断する。最近、城を築き、軍事訓練を強化したので、民が苦しみ、憤った。しかし、それは戦争に備えてどうしようもないことだった。実際に日本が侵攻してきたので、政府は堂々としている。我々が正しかった。だからお前たちの卑怯な行動を反省し、出てきて戦え。
民の考えも聞いてみなければならない。しかし、記録がないため知る術がない。私たちがわかることは、戦争中も戦争後も巨大な民心離れや、このような主張に対する物理的抵抗は現れなかったということだけだ。
実に気になる。良心が不十分だったのか。知識が不十分だったのか。だが、じっと考えてみると、今も大差はない。文禄・慶長の役の話が出てくると、一つか二つ制度を変えさえすれば、簡単に勝つことができたといったような無責任な診断をしたり、魔女狩りで解決する。あるいは私たちが勝った。私たちがもっと強かったといった精神的な慰めに執着する。
新年早々このような話を出すことははばかれるが、山を越えてこそ新しい地に出会える。厚顔無恥な権力、無責任な知性、扇動し扇動される人々・・・。2022年はこの悪の輪を断って立ち上がる一年になればいい。
歴史学者