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Posted January. 08, 2022 08:20,   

Updated January. 08, 2022 08:20

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私たちは、良い物の中でも特に珍しいものを「貴重だ」と表現する。梅もその一つだ。春の花は多くても、厳しい寒さを乗り越えて咲く花は珍しい。昔の先人たちは、白梅を見ればきれいだとほめ、紅梅を見れば神秘的だと愛した。彼らにとって、梅は決して物ではなかった。その中に精神が込められていると考えた。植木鉢の中に植えられているのは、盆栽ではなく、一種の心だった。

歴史の中で、梅を愛したことで最も有名な人は退渓・李滉(イ・ファン)だろう。彼が書いた梅の詩だけでも100本を超えており、梅と交わした問答詩もある。今日の詩にも、梅を愛する人が登場する。詩人は梅と二人きりで向かい合っている。人と人なら目を合わせ、額をこするように近くて喜ぶ姿勢だ。そして詩人は梅に質問する。何ておっしゃいますか?そう、こちらですか?

もちろん、梅は話すことができない。詩人もそれを知っている。しかし、なぜ聞くのか。先ほども言ったように、梅は物ではなく精神だ。そこには、私も知らぬ、私の望みと希望と意志が込められている。そのため、聞かなければならない。私の生きる方向は、進む方向はこちらでいいですか?私たちの人生の方向は私たちのものであり、私たちのものでもない。前を進みながら、どこへ行くのかわからない。それで、聞きながらたどたどしく進む。こっちの道で合ってますか。

文学評論家