Go to contents

悲しい夜光ボール

Posted January. 12, 2022 08:33,   

Updated January. 12, 2022 08:33

한국어

見かけは大人でも、心は子供の人がいる。子供の頃に深い傷を経験した人たちに、よくそんな傾向がある。チェ・ジンヨン作家の「私になる夢」は、そんな子供、そんな大人に関する小説だ。

子供の親はいつもけんかばかりした。お互いに殺し合いでもするかのように、激しく喧嘩した。子供は泣いたり大声を出したりしたが、だめだった。その状況から子供を救ったのは、文房具店の前でくじ引きで取った「夜光ボール」だった。「蛍光灯の光を抱いていて、闇の中でまぶしい空色に輝く小さなボール」。子供は電気を消して机の下に潜り込み、手のひらに夜光ボールを置いて眺め始めた。目を近づけて見つめることに集中すると、すべてのものが消え、夜光ボールだけが存在するようになった。親が争う声も聞こえなかったし、喧嘩が終わっても終わったことに気づかなかった。後で母が入ってきて引っ張り出すと、子供はやっと目をはなして言った。「これ、夜光だよ」。その言葉を聞いて母は泣いた。

両親が別れて、子供は母方の祖母の下で育たなければならなかった。常に世の中を悲観的に眺めるようになったのは、幼年の傷のためだった。年を取っても、その中には夜光ボールを眺めながら、世の中のことを忘れようとした少女が、あの時のまま生きていた。それでも幸いなことは、彼女が自分の中に住んでいるその子に気づき始めたことだ。「深い悲しみにとらわれた子供の頃の自分を思うと、心が痛む」。今やっと自分を慰め始めたのだ。遅ればせながら幸いなことだ。さらに幸いなことは、幼年時代の自分が成人になった自分を見て、「どうしてそんなに悲観的に世の中を見て、今も夜光ボールに逃げる人生を生きているのか」と責めそうな気がすると思い始めたことだ。自分に対する慰めが、自分への省察につながったことになる。

小説の中の夜光ボールは、痛い傷の前でどこかに逃げようとする人間心理に対する悲しい隠喩だ。そうしてでも耐えるのだ。そして、時が来たら自分を慰める。自己憐憫も、結局は癒しにつながることができるから。