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ずっしりと孤独に耐えていたある彫刻家について

ずっしりと孤独に耐えていたある彫刻家について

Posted March. 26, 2022 07:28,   

Updated March. 26, 2022 07:28

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記者は、ソウル城北区東仙洞(ソンブクク・トンソンドン)に行けば、立ち寄る所がある。延べ面積37.75平方メートルの広くない所。立っていると、妙な寂しさが漂う所。韓国近代彫刻家・權鎭圭(クォン・ジンギュ、1922〜1973)のアトリエだ。彼は、1959年から亡くなるまでの14年間、ここで生活しながら「自塑像」(1967年)などを制作した。彼は、見る人の心を強くとらえ、様々な感情を生き生きと感じさせる作品を披露したことから、「天才彫刻家」と呼ばれている。

彼について、著者はこのように話す。「奇抜さ、ひらめき、すばしさ、鬼気などを感じさせる人たちがいる。(中略)鈍いせいか、私は權鎭圭からは、そのようなことをあまり感じなかった。その代わりに重みを感じた」と。

著者は權鎭圭の姉クォン・ギョンスクの次男で、2008年に權鎭圭記念事業会を設立し、作品の収集・研究を続けてきた。

著者は、ただ一人の人間としての權鎭圭を語る。權鎭圭の元妻であるオギノ・トモとの物語は、特に切ない。1949年、日本武蔵野美術学校の彫刻科に入学した權鎭圭は、トモと8年間恋愛し、結婚する。韓日国交正常化以前の1959年、權鎭圭は韓国での成功を夢見て一人で帰国し、5年後に妻の父から送られた離婚書類に署名する。2人が最初で最後に再会したのは1968年、東京で開かれた個展だった。著者は「トモ」(1957年)、「再会」(1967年)などの作品から、權鎭圭の心を推し量る。

抽象彫刻が流行ったが、權鎭圭は具象彫刻にこだわった。「ジウォンの顔」(1967年)と「十字架の上のキリスト」(1970年)に代表されるテラコッタ(土で作って火に焼いた作品)と乾漆(枠の中に麻を貼って漆を塗った作品)は、彼が絶えず挑戦したことを示している。しかし、作品はあまり売れず、親しい知人も少なかった。彼が感じた孤独は、最後の名残から感じ取れる。彼は1973年5月3日、高麗(コリョ)大学博物館に立ち寄り、自分の出品作3点とじっと目を合わせた後、翌日、城北区(ソンブクグ)のアトリエで自ら命を絶つ。

生前、寂しい道のりを歩いていた彼の人生が、誕生100周年の今年、遅ればせながら再びスポットライトを浴びている。ソウル市立美術館西小門(ソソムン)本館で、5月22日まで「權鎭圭生誕100周年記念-爐室の天使」展が開かれている。「爐室」とは、釜または釜のあるアトリエを意味する。


キム・テオン記者 beborn@donga.com