川は海とは違う。同じ水でも、海はより原初的な自然だ。それに比べ、人間の近くに住む川は人によく似ている。川は人の人生のように曲がっている。ある時は乾いたり、わんわん泣きながら氾濫したりする。まるで大きな人、古い人のようだ。そのためか、韓国の詩には川がたくさん出る。錦江(クムガン)、漢江(ハンガン)、洛東江(ナクトンガン)、蟾津江(ソムジンガン)、夜明け江、日暮れ江など、私たちは、詩が織り込んだ川を数多く思い浮かぶことができる。
詩が川を愛する理由は、そこで洗えるからだ。何を洗うか。私たちは川岸に行ってシャベルを洗ってうっぷんを洗う。そして最も重要なことは涙を流す。涙を洗いに行く川。そんな人を待つ川。ここにも、そんな「ピンク川」がある。
4月のある日は、愛する人たちを失って悲しい日だった。詩人はその涙を洗いに、ピンク川に向かった。血の涙が流れてピンク川なのか、花の雨が降ってピンク川なのか分からないが、この川は、愛と悲しみが入り乱れて流れる川だ。そこで詩人は泣き笑いする。考えてみると、実際に4月は特に美しい月であり、また、特に悲しいことが多かった一か月だった。ピンク川は、詩の中だけにあるものではない。
文学評論家