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「最初の哲学」

Posted May. 18, 2022 08:24,   

Updated May. 18, 2022 08:24

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試練のために奥深くなる人々がいる。金芝河(キム・ジハ)詩人がそうだった。彼の回顧録に出てくる高校時代のエピソード一つ。彼は代数科目には興味がなく、「やっと0点を免れるほどだった」。ある日、代数時間に教材の余白に落書きをしていたところ、先生にばれてしまった。先生は彼の頭を殴り、便所にある落書きも彼が全部したとし、濡れ衣を着せた。悔しかった。体育の時間もそうだった。彼は「軍人出身の先生」に憎まれ、ずっと嫌われなければならなかった。理由もわからず。

彼が通っていた学校は、成績によって上中下にクラス替えをした。成績のばらつきがひどかった彼は、各クラスをまんべんなく経験した。野蛮なクラス替え制度だったが、そのおかげで多様な友達をまんべんなく作ることができた。それで彼には「意外と暴力的な友達が多かった」。地位が低くても高くても、皆が大事な縁だった。

あまり特別なことでもない話だ。しかし、エピソードの前に「最初の哲学」という途方もないタイトルがついて、特別なことになる。不当に殴られたことと友人をまんべんなく付き合った経験を、最初の哲学と言うなんて。「後ろを振り返りながら理解し、前を見ながら進むのが人間の人生」というセーレン・キェルケゴールの言葉のように、振り返ってみると、高校の時にあったことが人間を凝視し、思惟し始めた地点だったのだ。

彼が成年になって、不正義に抵抗し、苦難を経験したり、世の中の低い者たちをこの上なく大切に思って世話したのは、その哲学のためだったのかもしれない。5年以上刑務所に入れられていた闘士詩人である彼を、結局は生命の詩人に変えたのも、そのように始めた思惟のおかげだったのかもしれない。ある日、彼は刑務所の壁の隙間にタンポポの花の種が飛んできて、花を咲かせた姿を見て、数時間泣いた。タンポポも刑務所にまで入って花を咲かせるのに、人間の命はどれほど大切だろうか。苦痛に満ちていた魂が、生命の神秘に満ちた瞬間だった。最初の哲学が実を結んだというか。頓悟、つまり悟りは試練を通じて彼に訪れた。