旧約聖書に出てくるハガルの話は悲しい。ハガルは、アブラハムの妻サラの女奴隷だった。子どもがいなかったサラの画策で、子どもを産まなければならなかった。サラに後に子どもが産まれると、荒野に追放される。
作家イ・スンウの小説『ハガルの歌』は、このような悲しい話を形象化する。小説は、歴史で中心ではなかった下位層の女性にスポットライトを当て、幼い息子イシュマエルと共に荒野に追放されたハガルの心理を描き出す。ハガルは世の中が憎い。子どもを産んでほしいと哀願しておきながら、自分に子どもができると態度を変えたサラ、サラの言葉だけを信じてハガルはもとより幼い子まで追放したアブラハム、妊娠中にサラの嫉妬に耐えかねて荒野に逃れた時にハガルを引き戻した神。皆が憎い。しかし恨んでも何の意味があるだろうか。今は死にそうだ。アブラハムが与えた一握りのパンと水はとうの昔になくなった。子どもは倒れてしまった。ハガルは狂ったように水を求めさまよい、神に祈る。「あなたに少しでも慈悲の心があるなら、私を殺して子どもを助けてください」。ハガルの切実な訴えが神を動かした。井戸が目の前に現れる。小説は神の愛を確認して終わる。
ハガルの話が、どのように後代に伝えられたか確認するには、イスラム圏に行かなければならない。ハガルが水を求めてさまよった所はメッカからそれほど遠くないサファーとマルワという2つの丘の間の谷だった。コーランで「神のしるし」と言及されたまさにその谷だ。ハガルは水を探し、その谷を7回も走った。それでイスラムの人々は、彼らの母のハガルがそうしたように、その谷を7回走る、「サイ」と呼ばれる儀式を行い、ハガルの嘆きと神の愛を記憶する。イスラム教の預言者マホメットも生前にその谷に行った。
誰でも荒野をさまよって泣き叫ぶハガルの壮絶な姿を見れば、心が動き、ない水もつくってあげたい心が生まれるかもしれない。もしかすると、それが神の心だったのかもしれない。
文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授