生きていると絶壁に出会う時がある。難関にぶつかった時、その場で我慢して耐え抜く人もいるが、旅行や冒険を通じて答えを探す人もいる。クロード・モネは、後者に属する人だった。モネは苦しい時、旅に出た。特に、ノルマンディの海辺はモネが生涯、好んで訪れた場所だった。
モネが42歳の時に描いた風景画の中の背景も、ノルマンディのディエップだった。幼い頃に過ごしたル・アーブルよりも少し北側に位置する美しい海辺の町だ。色とりどりの染料と感覚的なタッチで精密に表現された巨大な絶壁が大変印象的だ。
当時、モネは様々な面で苦しい状況だった。1879年に妻のカミーユが2人の息子を置いて先に逝き、家賃を払えないほど暮らしが困窮した。後援者だったエルネスト・オシュデが破産したため、彼の妻のアリスと6人の子どもがモネの家で共に暮らした。アリスと恋仲となり、世間の非難も受けた。扶養する子どもが8人にもなったうえ、作業する環境も整わない状況。崖っぷちに立たされた心情だっただろう。モネは家財道具を持って去った。懐かしい大自然に会うと、筆が自然に動いた。ノルマンディの海辺はモネに芸術的インスピレーションだけでなく心身の安定ももたらした。光がまさに色彩だと信じたモネは、光によって時々刻々違って見える色彩を捉え、素早くキャンパスに描いた。光の世界がどれほどきらびやかで多彩なのかを代弁する絵が誕生した。モネは、ノルマンディの風景画で展示を開き、好評を得始め、この絵を描いた翌年には家族と共にジヴェルニーに定着し、自分だけの庭園も持って暮らす。
絶壁は、前の見えない真っ暗な状態を比喩的に言う言葉でもある。モネは、最も困難な時にノルマンディ海岸の絶壁を訪れた。ここで芸術のインスピレーションも、人生の答えも得ることができた。生涯、物質ではなく自然の光を求め探求したゆえに、芸術に対する熱望を抱いて生きたゆえに、可能なことだったのだろう。