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節度のある分別力

Posted August. 01, 2022 08:54,   

Updated August. 01, 2022 08:54

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「自分の分別力を教師にしなさい。行為を台詞に、台詞を行為に合わせなさい。自然な節度を超えないという特別事項を守りながら」(シェイクスピアの「ハムレット」)

英劇作家シェイクスピアと彼の作品「ハムレット」は、いずれもあまりにも有名だ。あまりにも有名で実際に読んだ人は多くなく、自然にその意味の神髄を享受した人たちも指に挙げられる。ほとんどの古典がそうであるように、ハムレットも幼い頃に両親が読んでくれたあまり面白くない要約本として記憶の中に位置している。

しかし、年を取って十分な人文学的素養を備えた後、この本を再び読むと、全く違う気分になるだろう。ハムレットは本当に狂ったのではないだろうか。おじさんがお父さんを殺したという証拠はないんじゃないか。なぜ感情をコントロールできず、とんでもないところで爆発し、すべてのことを誤るのだろうか。うまく作ったスリラー物のように、物語は観客を混沌と混乱に追い込み、絶えず多様な想像を引き出す。

シェイクスピアの悲劇の連作は、ソポクレスの「オイディプス王」のようなギリシア悲劇に対する再現であり、中世の歴史伝統に対する再解釈でもある。一方では古典の品格を蘇らせ、他方では誰もが共感できる当代の興味深い素材を溶け込ませている。

作品の中のハムレットは、俳優たちに演技を指導しながら分別力を強調する。観客の感嘆を引き出すために必要なのは、節度のある分別力だ。演劇だけではないだろう。どんなことをしても、その大半は行き過ぎか足りない。しかし、私たちはその事実を認めようとしない。事実を直視し、正確な分別力で窮極に至る時、多くの人から認めてもらえるということを知りながらも。

シェイクスピアは最も不安定な人間ハムレットを通じて、最も完璧な作品を作った。そこまでではなくても、私たちは私たちの席で安定的に立ち上がらなければならないのではないか。不安をなだめて乗り越えながら。