唐末、北方は相次ぐ戦乱で激しく混乱していたが、揚子江の南の江南地方は相対的に安定し、余裕があった。故郷を離れて江南に滞在していた詩人は、華麗な遊び舟に住み、よく飲み屋にも足を運ぶ。船の中で雨音を聞きながら寝たり、月のようにきれいな女性に付き添われながら酒も飲む。異郷暮らしでもこの程度の贅沢なら、老いるまで楽しむべきで、あえて帰郷することなどない。故郷では、江南でのこのような遊樂など味わうこともできないし、きれいな女性との付き合いが途絶えれば、気をもむに違いない。全部で5首の連作からなるこの歌の他の一節にも、詩人が遊興を貪った跡ははっきりしている。「夜明けに門を出る時、女は涙を浮かべて見送った」(第1首)と言い、「今度また花の枝(女性)を見たら、白髪になるまで決して帰還しないだろう」(第3首)と言った。
一方、この歌は、享楽に酔って虚しく歳月を過ごす前に、急いで中原に戻り皇帝を補佐するという詩人の誓いを反語的に表現したという解釈もある。若い頃から節度使の幕僚に入って、戦乱鎮圧の先頭に立った詩人の歩みから見て、「老いる前には故郷に行くな」は、帰還できない暗澹たる現実に対する自嘲的な嘆きだという。「菩薩蠻」は曲調名で、内容とは関係ない。
成均館(ソンギュングァン)大学名誉教授