すっきりしても醜くても、鏡に映る外見に偽りはない。身を捧げて外敵を平定しようという決心、一生堅持してきた公明正大な心だからといって、鏡が特別待遇をしてくれるはずがない。険しい印象に驚いた臆病者たちが自分の雄志を推し量ることができないため、このまま草野に葬られる運命であることは明らかだ。その不満と怒りを、詩人はじっと鏡の前に立って静めている。文章をよく作ると自負するほど才能が優れているわけでもないので、筆墨と親しむことで心を慰める。ところが、心の病気が深まったところで、豊かな感情をコントロールすることは容易ではなかったはずで、平常心を保つことができず、ついに詩人は決然とした叫びを吐き出す。星のように明るい私の芯を、錆びた鏡がどんな方法で明るく照らしてくれるというのか。機能を失った鏡を基準にする限り、是非曲直は乱れ、世の中は混沌に陥ることは明らかではないか。
「文章が好きだと言うほどではない」という謙譲とは違い、蘇舜欽は北宋の詩文革新を主導した人物。文豪・歐陽脩が、「年齢は私より幼くても、文章学習においては私がむしろ劣る」と褒め称えたほどだ。