「いったいこの人は誰か」
著者の父親は米オハイオ州立大学哲学科教授で、普段息子が何を質問しても親切に答える人だった。しかし、時々、人が変わったようになった。家族一緒に外食に出かけた日、父親は不満気な口調で妻の母に荒っぽい表現を浴びせた。著者は、そのような父親を見て疑問を持った。「この見慣れぬ姿の父親は果たして誰か」。
著者の父親は、重症精神疾患(双極性障害)を患っていた。米サンフランシスコ大学精神健康医学科教授である著者は大学1年生の時、「時々精神が完全でない時があった」という父親の告白を初めて聞いた。その時から1995年に父親が亡くなるまでの24年間に父親と交わした話を本に綴った。著者は、自身と家族が父親の病気によってどんな生活を送ってきたかを淡々と伝える。父親に残された烙印を克服し、自身の経験を率直に世の中と共有したいという思いからだ。
父親は1936年9月、3メートルの高さの家の屋根の上から飛び降りた。当時16歳だった父親は、頭の中で絶えることなく、ファシストから欧州を救ってほしいと訴える人の声に苦しめられていた。ある瞬間、自分は自由世界を救う運命を持って生まれたと考え、両腕が翼になって飛ぶことができると確信した。
病の治療よりさらに苦しかったのは烙印との戦いだった。著者によると、烙印には「予想烙印」、「名誉烙印」、「自己烙印」がある。父親は自分の病気が他人にばれないか常に心配し(予想烙印)、自分自身を世の中でどうしようもない人間と思う敗北意識からなかなか抜け出せなかった(自己烙印)。母親は、完全な家族のように見えるために様々な努力をしなければならなかった(名誉烙印)。著者と妹、母親は、正常に見えるための「役割劇」に忠実にならざるを得なかった。
著者は、「烙印は恥を生み、恥は沈黙を生む」と指摘する。苦しい心のくびきから抜け出すには率直な対話が切実だ。烙印との戦いに対抗できる最も確実な武器は、自身と他人を包容する人間性の回復だと強調する。
鄭盛澤 neone@donga.com