これまで文献でも伝わったことのない地球儀の形をした朝鮮時代の携帯用日時計が韓国の懐に戻ってきた。
文化財庁と国外所在文化財財団は18日、ソウル鍾路区(チョンノグ)の国立古宮博物館で、「19世紀朝鮮で製作された日時計『日影円球』を米国から回収した」とし、実物を初めて公開した。今まで日時計は一般的になじみ深い釜型の仰釜日晷だけが10点余りが伝えられたが、球形を完全な形で保っている日時計が発見されたのは初めて。
高さ23.8センチの日影円球は、十字型の台の上に地球儀のように円球が載せられた形をしている。銅で作られた直径11.2センチの球体には時間を表す12支銘文と縦96のマスが表示されている。朝鮮時代は1日を12時96分(15分)と計算した。
日影円球は時盤と影針(影を作る棒)が固定された仰釜日晷とは異なり、太陽の動きによって地球儀を回すように球体を回転させて時間を合わせる。「T」字の形をした針の影ができるようにした後、球体に凹んだ一直線の溝に影が入るように基準点を合わせれば現在の時間が分かる方式だ。
仰釜日晷が設置された場所で時間を確認できるのに対し、日影円球はいつ、どこでも太陽が昇ってさえいれば時間測定が可能だ。緯度とも関係ない。忠北(チュンブク)大学の李勇三(イ・ヨンサム)名誉教授(天文宇宙学科)は、「12支という朝鮮の伝統を継承しながらも、緯度を調節できる装置を設けた。朝鮮後期の科学の一歩前進を示す遺物だ」と評価した。
製作者と製作年度を正確に知ることができるのも価値を高める。円球の片方に「大朝鮮開国499年庚寅年7月上旬に新しく製作した」という文言と共に、「尚直鉉 印」という落款が刻まれている。1890年、尚直玄(サン・ジクヒョン)という人物が作ったことを物語る。
文化財庁などによると、「高宗実録」や「承政院日記」などには、尚直鉉が摠禦營の別将と別軍職に任命されたと記されている。王の護衛と宮殿や都城防御を担当する武官のことを指す。また、尚直鉉は1880年に修信使の一員として日本を訪問し、息子の尚澐は清から初めて電話機を持ち込んだ人物として知られている。
日影円球は1940年代、日本に駐留していた米軍将校を経て、米国の個人コレクターが購入して持っていたという。最近オークションに出品されたという情報を得て、文化財庁と財団が落札した。日影円球は19日から国立故宮博物館で開かれる「還収文化財特別展」に展示される。
イ・ソヨン記者 always99@donga.com