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秋雁

Posted October. 08, 2022 09:07,   

Updated October. 08, 2022 09:07

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17番目の節気である寒露が訪れた。この忙しい世の中で、誰が節気を覚えているだろうか。寒露は確かに存在しながら、だんだん忘れられている名前だ。世の中にそんな単語は、寒露だけではない。私が忘れていく名前が多く、私の名前も忘れられる多くの名前の一つだ。そのような考えをすれば、「寒露」という、寂しくて清く、孤高な単語を簡単に通り過ぎることはできない。

寒露にぴったりと合わせて読むには、今日の詩がぴったりだ。この詩の副題がまさに寒露だ。ここには明け方に起きている一人が出てくる。明け方は、「冷たい露」という意味の寒露にふさわしい時間帯だ。寒くて澄んだ寒露を体で感じた詩人は、遠くに視線を向ける。詩の肌寒く静かな雰囲気が、秋の風情そのままだ。

実際、露はあまり前向きなイメージではない。果てしなく崩れる人生を象徴するからだ。朝鮮後期の李德懋(イ・ドクム)が「月明かり、露、風、花など役に立たない言葉」と表現した一節を見れば、その時も露はきれいではあるが無駄なものだったようだ。ところが詩人たちは、この空虚な露を愛した。金素月(キム・ソウォル)の散文によれば、「高くて澄んだ行跡の聖なる最初の一滴の露」という表現が出てくる。簡単に消える露を、非常に高く評価する人たちがまさに詩人なのだ。硬くもなく長続きもできない露が、節気になり詩になり価値になる。冷たい露の日に、露の皮肉さについて考えざるを得ない。