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超極限の職業

Posted October. 15, 2022 08:47,   

Updated October. 15, 2022 08:47

한국어

韓国人にとって、ツバメは見慣れている。ツバメを見たこともない子供たちも、この鳥を知っている。しかも好きだ。これは全部、「フンブとノルブ」のためだ。物語の中のツバメは、恩と恨みがはっきりするほど賢く、人を金持ちにするほど能力がある。物語の外のイメージも、さほど変わらない。伝統的にツバメは、旧暦で3月3日に飛んできて、重陽の節句に発つと言われ、霊験あらたかな鳥だと言う。

この詩の一番前には、「3月3日」という単語が置かれている。この強力な単語はツバメが帰ってくる日を連想させるので、私たちは主人公がツバメなのかしばらく紛らわしい。ところが主人公は別にいる。ツバメの巣の隣に住むクモが、まさに詩の本当の主人公だ。吉鳥のつばめに比べると、かなりつまらない。それにツバメの隣に住む身とは。いつ食われるか、はらはらする。

状況がすでに極限なのに、クモは母親である。それでクモは、「超極限の職業人」になった。杼(ひ)も横糸もなく、だから助けも元手もなく、母は生きるために一生懸命クモの巣を作っている。母親が生きてこそ腹の中の子も生きられるから、生きることに気が遠くなっても、持っているものがなくても頑張らざるを得ない。小さなクモ一匹が「ママ」になる瞬間、「ママ」という単語が割り込む瞬間、吉鳥は消え応援だけが残る。苦しい状況であんなに努力する母親は、生きなければならない、それも豊かに生きなければならない。あの短い詩に私の母、その母の母、そして多くの母の母たちが重なって見える。実に驚くべきことだ。