「私はただ青が好きだったので、青で絵を描いただけだ」(パブロ・ピカソ)
20代前半、友人の死とひどい貧困で絶望的な時間を過ごしたピカソは、その後3年間、青色で塗られた作品だけを描いた。多くの学者は、この時期を「青色の時代」と呼んだ。人々は、ピカソが青色にこだわる理由を疑問に思った。筆者もその背景には、特別な苦悩と哲学があるだろうと一時推測した。だが、ピカソが後日明らかにした返事は「ただ」だった。人々は虚しくならざるを得なかった。おそらく様々な解釈を出した美術評論家たちは、なおさらだったのだろう。
私たちは、たいてい偉大な巨匠の作品を鑑賞する時、隠れた意味と哲学を探そうとする。それが深みのある作品鑑賞法として映ったりもする。それなりの解釈は、傑作をさらに傑作にすることもある。
1789年のフランス大革命の勃発後、王家の所蔵作品を大衆に公開し、ルーブル博物館の歴史が始まった。該当作品の価値に対する好奇心が高まり、実際、価格を付け始めた。現在、世の中で最も有名でその経済的な価値だけで40兆ウォンを越えると評価されるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」には、当時、パリ市内でやっと家一軒を買える水準だった5万フランの価格が付けられた。一方、ラファエルロの「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」は、ルーブル最高の傑作と評価され、なんと60万フランの値が付けられた。だが、現在これらの作品に対する大衆の評価は「逆転」されている状態だ。
芸術作品の評価基準は、人によって、そして時代によっていくらでも変わる。ある作品に向き合った時、どれほど私の胸をときめかせるかが重要だ。そのように自分だけの基準で見つめ、理解した時に作品を見るあなたの目も高くなるだろう。芸術は数学ではない。そもそも正解なんてない。