11月11日は第1次世界大戦終戦記念日だ。私たちが知る限り、最大の犠牲者を出した戦争は第1次世界大戦だ。重爆撃機も核爆弾もなかったが、戦死者だけで1千万人を超える大惨事だった。すべての戦争が惨劇であり、虚しい死と悲劇的な事件がない戦争はない。しかし、第1次世界大戦の惨状は筆舌し難いという言葉でも足りない。参戦者の手記や証言も、普通は感情が高ぶった状態で伝えられるものだが、第1次世界大戦の記録は、戦場の状況があまりにもひどいため、言葉では惨状を正しく描写しきれなかったり、感情を抑えたりする傾向がある。
中隊が戦線に配置されるやいなや1週間にわたって砲撃が加えられ、泥地に掘った塹壕が耐えられずに崩れることも日常茶飯事だった。何人が塹壕に生き埋めになったのかもわからないまま処理されることもあった。
兵士たちは、水と泥だらけの塹壕で寝食をともにした。眠りにつくと、ネズミが近づいて鼻をくすぐり、生きる者と死んだ者、死んでいく者の臭いをかいだ。まだ生きていても、死が近い場合は躊躇せず攻撃した。そのような環境で人間が耐えられるということが不思議なほどだった。
指揮官の脳は、突然発達した兵器の破壊力に追いつけなかった。兵士たちの目には、この戦争の戦術は殺人兵器の前に兵士たちを押し込んで血と肉で地を覆うだけのように見えた。実際に指揮官たちも様々なアイデアを出し、様々な試みをした。どれ一つ成果を出せず、予想外の食い違いや不幸な結果を招いたこともあった。
第1次世界大戦で行われた最大の悲劇は終戦処理だ。勝戦国も敗戦国も、戦争中に起こった惨状の衝撃を克服できなかった。生存者たちは、戦争の傷を癒すよりも怒りに包まれ、その怒りを支配階級、隣国、敗戦国に向けた。各国で政治的混乱、革命が発生した。敗戦国は怒り、ファシズムが誕生し、再び世界大戦が勃発した。11月11日が私たちに与える教訓だ。