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「仏教は科学だ」

Posted November. 16, 2022 08:41,   

Updated November. 16, 2022 08:41

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憎しみや怒りから善や慈悲が芽生えると信じる人がいる。ダライ・ラマがそうだ。チベット人の指導者である彼が、チベット人の敵である毛沢東を追悼したのはそのためだ。

毛沢東は何者か。中国人には「主体的な歴史を回復させた恩人」かもしれないが、チベット人には不倶戴天の敵だった。毛沢東をはじめ共産主義者たちは、苦難の長征を通じて西欧の帝国主義者の手から逃れて共和国を建てるやいなや、西欧帝国主義者より「もっと悪辣な帝国主義者に豹変」した。彼らは、平和な仏教国家チベットを侵略し、100万人以上のチベット人を虐殺し、寺院を破壊した。彼らは、ダライ・ラマの言葉通り「共産主義を装ったショービニスト」だった。ダライ・ラマが流浪の生活をするようになったのも毛沢東のためだった。にもかかわらず、ダライ・ラマは、1976年にこの世を去った毛沢東を追悼した。

長い年月が経ち、ダライ・ラマを尋ねた檮杌(ドオル)・金容沃(キム・ヨンオク)氏が、私たちが聞きたいことを尋ねた。「なぜ追悼の意を表したのですか」。するとダライ・ラマは、毛沢東による苦しみと彼に対する怒りを通じて仏の教えを悟り、心の平和を持つことができたからだと話した。驚くべき答えだった。「敵であっても、その敵によって自分から生まれる善をより貴く考えなければならない」。ダライ・ラマは、「怒りの炎」の中で永遠に生きることは不可能だと言った。「いかに怒りが強烈であっても、ある瞬間には怒りが収まり、静かな心の平和や許しを施す感情の転換が生まれる」。多くの人はそうして訪れた「感情の転換状態」を押し出し、再び怒りの炎の中に飛び込むが、それは自滅の道だという。それゆえ、怒りの炎から生まれた善をつかみ、育てなければならないということだ。それが、仏が言う修行だった。とても論理的で科学的な言葉だった。ダライ・ラマにとって「仏教は科学」だった。その科学によって、許せない毛沢東を許すことができた。