陽の当たる日、女の子たちが外に出て楽しく遊んでいる。薄緑の葉と子どもたちの顔は光を受けて輝く。デンマークの画家ピーター・ハンセンが描いたこの絵を見ていると、世界の不安は吹き飛ぶ。女の子の笑い声が絵の外まで聞こえてくるようだ。
ハンセンはデンマークのフュン島の出身で、生涯の半分をこの島で活動したことから「フュン島の画家」と呼ばれた。ハンセンはコペンハーゲン技術学校に通った後、「芸術家たちの自由研究学校」に入学し、本格的な画家の道を歩んだ。同校は、デンマーク王立美術院の保守的な画風に対抗した画家らが設立した美術学校。
当時の北欧の画家たちのようにハンセンもイタリアやフランスなどを旅し、フランス印象派の影響を受けた。1905年からは故郷の島で夏を過ごしながら田園風景を、冬にはコペンハーゲンに滞在して街並みを描いた。
この絵はハンセンが住んでいたコペンハーゲンのエンハブ広場の様子を描いている。手をつないで一列に並んだ少女たちが友達を捕まえようと前進している。顔には笑みと遊び心があふれている。黄緑の葉と軽い装いから見て、春に描いたようだ。ハンセンがこの絵を完成させたのは40歳の時。作家として絶好調で、家族も円満で、すべてが完璧で美しい春の日だった。
しかし翌年、悲報が飛び込んで来る。1909年7月、バルセロナの総ストを率いた長男ダビドが軍に殺害されたという知らせだ。息子はスペインのアナキズム運動の偉大な殉教者になったと信じていたが、悲しみが癒されることはなかった。その後、ハンセンの絵からは明るい色彩が格段に減った。息子を失った苦しみが絵に表れ始めたのだ。
子どもの死は永遠のトラウマだ。わずか1年前、ハンセンは家の前で楽しく遊ぶ子どもたちの姿を描いた。悲劇の後、どうして幸せな絵が描けるだろうか。この絵が生涯最も爽やかな春の日の肖像になると画家は想像しただろうか。