幸州(ヘンジュ)山城の戦いは、晋州城攻防戦、閑山島海戦と共に文禄・慶長の役の3大戦闘の一つである。幸州山城の戦いで銃筒、飛擊震天雷のような朝鮮軍の火薬武器が大活躍した。さらに珍しい新武器が登場する。邊以中(ビョン・イジュン)が作った火車だ。
朝鮮の伝統的な火車は、現在の多連装ロケット砲のように神機箭を連続で発射する武器だった。邊以中の火車は神機箭ではなく、勝字銃筒を使用する。車輪の上に3面で装甲板を立て、ここに40袋の勝字銃筒が設置された。
邊以中の火車は幸州山城の戦いで何台も配備されたが、どれほど活躍したかは戦闘記録が詳細でないため明らかではない。権慄(クォン・ユル)は、高山縣監の申景禧(シン・ギョンフェ)を宣祖(ソンジョ)に送って勝利の知らせを伝えた。申景禧は、幸州山城の戦いの様相と湖南の状況を伝えるが、邊以中が作った火車の功労を称えるどころか、兵力と物資徴発任務を担って派遣された召募使の邊以中が民から多くの牛を徴発して懸念されると宣祖に告発する。
このようなことが起こるたびに、歴史家はもとより当時を生きた人々も苦悩に陥る。邊以中の徴発令は正当なのだろうか。戦争は民にどのような苦しみをどれだけ求められるのか。
幸州山城の戦いには正反対の美談もある。女性たちが前掛けで石を飛ばし、戦闘を助けたという伝説だ。ヘンジュ前掛けという名称はこの戦闘が由来だという。この話は民と軍が心を合わせて勝利を収めた代表的な事例に挙げられる。しかし、ヘンジュ前掛けの伝説は事実ではない可能性が高い。幸州山城に民間人が入ったり、この戦闘に民間人がいても、女性まで参加したりすることはなかった。
すべての戦争は民と軍が心を合わせて行われる。ただ、ヘンジュ前掛けのようなやり方は美しい協力方式ではない。兵士は戦線で、民は生活の現場でさまざまな方法で苦しみ、共にこの苦しみを勝ち抜く国が勝利する。だから、兵士に劣らず国民の精神も健全で苦痛を共にする意志と闘志がなければならない。快楽と安逸さに屈した国民は戦争に勝てない。