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無伴奏音楽のように

Posted January. 18, 2023 08:20,   

Updated January. 18, 2023 08:20

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始まりは、それほど美しい話ではない。17歳で突然妊娠した女子生徒の話だから。そうさせた男はどこかに行っていない。子供ができたという話を聞くと、母親は「いいざまだ」と娘を追い出す。無責任な父親は家出していない。生徒は先生を訪ねて助けを求める。年老いた父親の面倒を見ながら一人暮らしをしている先生は、自分の家に入ってきて暮らせと言う。ここから物語に美しさが少しずつつき始める。

ところが、先生のお父さんは正気な人ではない。老人は、財産を盗みに入ってきたと子供を虐待し暴力をふるう。悩んでいた先生は、田舎に住む二人の高齢者に助けを求める。農作業をして牛を飼う高齢者兄弟だ。トルストイの「戦争と平和」に出てくる純朴な農民に似た彼らは、思わず子供を受け入れる。行き場がないというので、どうしようもない。ところが、彼らは幼い頃、両親が交通事故で亡くなった後、学校に通わず一人ぼっちで暮らしていたので、牧場と農場の仕事以外は何も知らない。一生そのように生きてきた。女と暮らしたこともない。どんな話でもして子供の心を楽にしてあげたいが、その方法が分からない。それで最初に子供にせいぜい話したことが、穀物と牛に関する話だ。豆と牛の値段がなんとかかんとか…。

そのようにぎこちない瞬間を経て、彼らの家は徐々に子供の家になり、その子供がそこで学校まで通いながら産んだ子供の家になる。彼らは、実の親よりもっと親になってくれる。生物学的な家族が解散された場所に、新しい形の家族が入る。荒野の無法者のように生きてきた二人の高齢者にも変化が生じる。牛の世話をしていた彼らが、人間の世話をしたことで、一生自分たちにくっついていた寂しさを吹き飛ばす。彼らにとって、他者は地獄ではなく救いだ。

ケント・ハルフの小説「プレーンソング」に出てくる話だ。グレゴリオ聖歌のような無伴奏宗教音楽のように、素朴で飾らず(プレーン)純粋な人々。そんな人たちがいて、それで世の中は生きがいのあるところなのかもしれない。