戦争の歴史で古くからの悩みがある。個人の思考と行動が自由な民主国家、そして指導者の意志に従って一糸乱れぬように動く独裁国家。2つの国が戦争をすれば、どちらが有利だろうか。自由と進歩を追従する知識人にとっても怖い質問だ。戦争は、その始まりから自由、合理、常識から外れて行われる行為だ。銃弾の前に突撃しなければならない時に議論をする余裕はない。
紀元前5世紀、ペルシャが侵攻してきた時、アテネの民主主義者たちは自由の力を主張した。専制君主に強制的に動員された奴隷のような軍隊と、自分の意志で家族と国のために戦う戦士の戦闘力は異なる。アテネが勝利したことで、この理論は現代戦争においても自由民主主義者のバイブルとなった。
この言葉には一理ある。しかし、専制国家であるマケドニア王国のアレクサンドロスがアテネを併合し、ペルシャまで征服してしまったのはどう説明すればいいのだろうか。ギリシャ‐ペルシャ戦争における勝負の鍵は、自由市民軍と奴隷軍の対決ではない。様々な状況で最大効率を発揮できる組織力を備えた軍隊と、戦場での柔軟性と適応力を犠牲にした硬直した組織を持つ軍隊の対決だった。
ウクライナ戦争でロシア軍は、硬直した組織がいかに致命的な非効率をもたらすかを如実に示している。ウクライナを見ると、アテネ人が言った故郷と家族を守るという自由意志の力も無視できない。
しかし、その自由意志とは戦争の効率と適応力を高める種類の自由でなければならない。戦争という特殊な事情を認めないとか、国や家族より理念や政治権力を守ろうとする意志が先行すれば、国家の戦争遂行能力を破壊する力に作用するだろう。つまり、自由意志による国家の分裂、組織力の分裂は、権威主義国家の硬直した組織力が戦争遂行に及ぼす害悪よりも大きな害悪となるだろう。
この点で見ると、韓国は自由国家の長所と短所の両方を備えている。それはどの国でも同じだが、最近の状況を見ると、短所が危険水位に達しているようだ。誰もがこの問題を認識し、努力しなければならない時が来た。