詩は心の一片である。見知らぬ誰かが、私が知らない時に、私が知らない場所で投げかけた一片がまさに詩だ。だから慣れるはずがない。他人の心の一片は私のものではないから、慣れない方が正しい。皮肉なことに、まさにこの事実のために詩を読むようになり、詩が好きになる。
決して私のものではない他人の心なのに、それは決して慣れたものではないはずなのに、読んだ瞬間、その一片に私の心が埋め込まれてしまう。「え? ここに私の心が私より先に到着していたんだ」。そんな気がする。その瞬間、この孤独な地球は孤独ではない。私の心をわかってくれるたった一つの心があれば、私たちは孤独ではなくなる。
夕方の空腹感と夕方の安らぎが並んでいる一日の終わり。疲れているが、謙虚に向き合う手。空腹が安らぎを助け、安らぎが空腹の世話をする幸運がこの素朴な詩を満たしている。これこそ、普通の、しかし最もありがたい私たちの姿ではないだろうか。特に、「隣り合って助け合う」という言葉が心に残る。病気の人は他人の痛みを知り、傷ついた人は他人の傷を知ることができる。私たちはたいしたことない普通の人たちだが、並んで進むことができる。並んで隣人の手を握ることができる。本当に幸いだ。