子どもの日は一日だけだが、実は子どものすべての日々は全部子どもの日だ。彼らは毎日、幸せに笑って騒ぎ、たくましく走り回って、安全に行き来しなければならない。大人が守らなければならないことには、国防とか法規だけがあるわけではない。私たちは、澄んだ目、柔らかい手のひら、さらとした髪の毛を持つ子供たちの面倒を毎日見なければならない。気をつけて守らなければならないほど子供たちは弱く、必ず守らなければならないほど子供たちは大切だ。
世の中の汚れを作ったのは大人であって、子供たちではない。世の中の困難を作ったのも、大人であって子供たちではない。子供たちが作るものの中で、悪いものは一つもない。子供たちが積むものの中で、憎いものは一つもない。だから子供たちは、姜小泉(カン・ソチョン)の詩のように、まるで絵のようで童話のようなあの風景のように澄んできれいに育ってほしい。市の中の子供たちは、どこを走っても安全で、どこを見回しても平安だ。空と星と空気さえ子供たちを愛おしく抱いてくれるようだ。
この詩を書いた姜小泉詩人は、子供を特に愛した。彼は「小さな泉」という意味の「小川」をペンネームとして使ったが、小さな泉はまさに詩人自身であり、すべての子供であり、童心だ。詩人は、子供たちを小さくても大切で貴重な泉と考えたのだ。私たちの小さな泉が、いつまでも澄んだ水の音を立ててちょろ流れることを、子供の5月に願う。