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[オピニオン] 若い詩人の悠々自適

Posted June. 09, 2023 09:10,   

Updated June. 09, 2023 09:10

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牛に乗って笛を吹きながら村を通り過ぎる牧童、農村を描いた風景画の中の牧歌的な光景だ。これは、世知辛い世の中を生き抜くためにあらゆる知恵を尽くして、魂は疲弊したとしても、心理的にでも慰めを受けようとする人々の永遠の志向でもある。詩の中にこのような場面が登場する背景は様々だ。世俗的な欲望を捨てて隠遁生活を送る人々の真の悠々自適がある一方、名利を追いかけて生きながらも体裁を整えて詠む口頭禪の場合もある。また、無能であったり、運が悪い士人が世間から疎外されたときに吐き出す哀れな愚痴かもしれない。「昔から誰が名利を拒んだだろうか、今まで心と言葉がずれていただけだ」(無名氏、「嘆世歌」)という詩句に見られるように、体面と名分を重視した士人文化では、名利を口にすることすらはばかれた。名利の追求が人間の普遍的な欲望に近いことを認めるなら、悠々自適の夢を絶えず持ち続けた士人たちの孤高な趣向も時には疑わしいかもしれない。

この詩は詩人が7歳の時に即興で作ったという。余裕のある牧童が名利に振り回される長安の士人よりましということだが、まだ世の中を経験していない子どもの発想にしてはどこか不自然だ。天真爛漫な想像力というよりも、大人の真似をした気取りに近い。しかし、高尚な趣向でもったいぶるこの早熟な子どもは、後に蘇東派の門下で学び、師匠と肩を並べるほど優れた文学的成果をあげた。「蘇黄」という称号がその証拠だ。