Go to contents

あなたの言う通りだが

Posted June. 14, 2023 07:56,   

Updated June. 14, 2023 07:56

한국어

ダライ・ラマが1973年に初めて欧州を訪問した時、ある若者はダライ・ラマが気に入らなかった。チベットについて世界に知らしめるべき人が、慈悲と善良な心についての話を多くしたからだ。そこで彼は問い詰めた。「私はあなたがチベットについてもっと話すべきだと思います。これは絶好の機会だと思います。私たちは苦しんでいる国民について、世界の人々に向けて話す必要があります」。

中国軍がチベット人を殺し、拷問し、文化を抹殺していた。それを世界に知らしめるべきではないか。ところが、ダライ・ラマの考えも同じだった。問題は、人々が自分たちの重荷を軽くしてくれるという「誤った希望」を持ってダライ・ラマを求めることだった。「私にはそのような能力はありません。しかし、だからといって、私が彼らに私の荷を載せる権利はないと思います」。心の重荷を抱えている人々を助けるどころか、チベットの話で負担をかけてしまうことを恐れて躊躇しているという言葉だった。ダライ・ラマの利他的な言葉に、青年は思わず泣いてしまった。

そう涙したチベットの若者の名前は、ロディ・ギアリ・リンポチェ。年月が経ち、彼はダライ・ラマが率いるチベット亡命政府の外相となり、中国との交渉に乗り出した。その時、天安門事件が起きた。中国軍が学生を踏みにじっていた。ダライ・ラマは、「広場の若者に対する無条件の支持」を含む声明を発表するように言った。それをするとこれまで中国と交渉してきたことがすべて水の泡になると言うと、ダライ・ラマはこう応えた。「あなたは正しい。しかし、今私が声明を発表しなければ、私は自由と民主主義を語る機会を永遠に失うことになる」。ダライ・ラマは、鄧小平の反感を買い、チベット問題がさらにこじれることを知りながらも、学生の側に立った。ダライ・ラマにとって中国の学生は、中国軍に踏みにじられたチベット人と同様に、慰めと憐憫の対象だった。ダライ・ラマは中国のためにチベットを離れ、流浪の生活を送りながらも威厳を失わなかった。