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ゴッホのサマリア人

Posted July. 12, 2023 08:11,   

Updated July. 12, 2023 08:11

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フィンセント・ファン・ゴッホは、晩年まで他の画家の絵を模倣した。弟のテオに送った手紙で話したように、彼は演奏者が「ベートーベンを演奏しながら、自分だけの解釈を付け加えるように」画家もそうできると信じた。彼は、世の中が何と言おうと気にしなかった。彼が1890年に亡くなる前に描いた「善きサマリア人」も、ウジェーヌ・ドラクロワの「善きサマリア人」を模倣した絵だ。

タイトルが物語っているように、ドラクロワの絵はルカ福音書に出てくる善きサマリア人の話を基盤としている。イエスは、「誰が私の隣人ですか?」という律法師の質問に、強盗に遭って死んでいく人を見ぬふりをして通り過ぎる司祭やレヴィ人ではなく、彼を哀れみ、ラバに乗せて旅館に連れて行って世話をしたサマリア人が本当の隣人だと答えた。口先だけで律法と信仰を持ち出す偽善的な人々ではなく、彼らが無視して軽蔑するサマリア人、今で言えばイスラエルに踏みにじられる西岸地区に住んでいたサマリア人が本当の隣人だという辛辣な返事だった。

ドラクロワは、怪我した人をラバに乗せるサマリア人の姿を絵で形象化した。ゴッホはその絵を模倣し、そこに解釈の服を着せた。ドラクロワの絵にはラバが左側にあり、ゴッホの絵には右側にある。ドラクロワのサマリア人は、赤い上着を着た強烈で頑丈な姿だが、ゴッホのサマリア人は、黄色い上着を着た柔らかくて暖かい姿だ。ゴッホの黄色は、黄色いというよりは、彼が好んで描いたひまわりの色だ。サマリア人の暖かい心と優しい色の饗宴は、別物ではない。茶色いラバさえも、飼い主の心に感動したのか、自分の背中に載る負傷者の重さを前足を合わせて黙々と耐えている。

精神病院にいたゴッホは、この絵を描いて2ヵ月後に亡くなった。彼は、絵でどちら側だったのだろうか。サマリア人だったのか、傷ついた男だったのか。絵を見る私たちはどちらだろうか。どちらにしても不思議と慰めになる絵だ。