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初の女性哲学者

Posted August. 09, 2023 08:23,   

Updated August. 09, 2023 08:23

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哲学は伝統的に男性の専有物だった。ギリシャにソクラテスはいたが、ソクラテスに匹敵する女性哲学者はいなかった。朝鮮に退渓はいたが、退渓に匹敵する女性哲学者はいなかった。そう考えると、任允摯堂(イム・ユンジダン)という17世紀の朝鮮の女性は非常に例外的な存在だ。任允摯堂は、男性中心の時代に「私は婦女子であっても、天から受けた性品はそもそも男女間に相違はない」と考え、性理学の経典を渉猟(しょうりょう)した女性哲学者だった。

任允摯堂の人生は不幸だった。任允摯堂は、孟子の言う「4種類の哀れな者」、つまり老いた者、老いて配偶者を亡くした者、孤児、子のない者のうち、自分は「3つを備えている」不幸な人間だと思っていた。8歳で父を亡くし、結婚して8年後に夫を亡くし、若後家となった。子どもがいたが、幼くして死んだ。40歳を超えて義弟の長男を養子にしたが、28歳で死んだ。任允摯堂は、息子を失ったショックで目が悪くなり、失明しそうになった。

任允摯堂の言葉通り、彼女の人生は「強い心を持った男でも耐えられない」試練の連続だった。特に晩年はそうだった。しかし、任允摯堂は耐えた。過酷な運命が逆らえないのなら、自らを修養して自然の摂理に従おうと耐えた。任允摯堂は、昼間は家事をし、夜には誰にも知られないよう経典を読み、文を書いた。女性が学問をすると睨まれる時代だったからだ。彼女の死後、弟と義弟が出版した『允摯堂遺稿』だけが残され、彼女の深い思惟を伝えている。最近、英紙ガーディアンにリーガン・フィナルナという学者が、「軽視された世界の女性思想家たちの10大著書」の一つとして『允摯堂遺稿』を紹介し、「天から受けた性品はそもそも男女間に相違はない」という言葉を引用したのは決して偶然ではない。任允摯堂は男として生まれたなら偉大な哲学者になった人だった。時代の限界であり、悲哀だった。東洋も西洋も同じだった。