「李範奭(イ・ボムソク、韓国光復軍第2支隊長)と私が共同の目標のために造成した平等、尊重、協力の雰囲気の中で、優れた精神を持った一つの軍団が力を得た」
日本の植民地支配末期の1945年、韓国光復軍と米中央情報局(CIA)の前身である戦略情報局(OSS)が共同推進した「トクスリ作戦」の米国側責任者クライド・サージェント大尉(1909~81)は、当時の隊員たちの訓練の雰囲気をこう振り返った。トクスリ作戦は、韓国光復軍とOSSが共同で対日戦の情報要員として育成した韓国人を韓半島に潜入させる計画だ。サージェント大尉は当時、韓国人青年と米軍が日本に対抗するために一つになって力を合わせたと考えた。
サージェント大尉が残した回顧録と関連資料を最近確保した独立記念館は、78周年光復節を前にこれを14日、東亜(トンア)日報に公開した。米メイン州に住むサージェント大尉の息子、ロバート・サージェント氏が所蔵している記録物で、研究のために一部共有されたものの、一般公開されるのは初めて。回顧録は、トクスリ作戦に参加した米軍関係者が公式文書以外に残した唯一の現存する記録と評価されている。独立記念館首席研究委員だったキム・ドヒョン氏が資料を翻訳・分析した。
回顧録によると、韓米両国の軍人たちは、宿泊と訓練のために捨てられた祠堂を修理して使うなど、訓練の準備にも力を合わせた。サージェント大尉は、「生存と調整のための合理的なもの(結果)を作るために多くの挑戦に直面した」としながらも、「巨大な改築と再建、建築に(共に)力を注ぎ、戦後中国を離れる時、米国人、中国人、韓国人が誇らしげに去ることができた」と話した。
サージェント大尉は、亡くなる1年前の1980年3月7日、トクスリ作戦を振り返り、レター用紙10枚分のこの回顧録を完成させた。
学界では、この回顧録を韓米同盟の原流を象徴する核心文書と評価されている。キム氏は「回顧録は、韓国と米国政府を代表する軍事機関が行った最初の共同軍事作戦を実証する貴重な記録であり、歴史的意義が非常に大きい」と強調した。
イ・ソヨン記者 always99@donga.com