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永遠のバレリーナ

Posted August. 17, 2023 08:29,   

Updated August. 17, 2023 08:29

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エドガー・ドガは、バレリーナを描いた油絵やパステル画で有名だ。舞台上での華麗な姿よりは、舞台裏や練習中のダンサーの日常を捉えた絵を多く描いた。しかし、彼の数多くの作品の中で最も論争的で有名なのは、むしろ彫刻だ。「14歳の小さな踊り子」(1880年頃・写真)がその主人公だ。一体何のために議論になったのだろうか?

モデルは、パリのオペラバレエ学校に通っていた14歳の少女マリー・ヴァン・ゲーテムだ。彼女の母親はベルギー出身の移住労働者で、夫を亡くした後、洗濯婦と裁断師として苦労しながら3人の子供の世話をしていた。1880年代は、ゲーテムのように主に貧しい家の娘たちは、お金を稼ぐためオペラ団に入団した。幼い踊り子たちは、彼らを見守っていた裕福な男性後援者の手に引かれ、望まない関係を結ぶこともあった。少女を救ってくれたのはドガだった。1878年から1881年まで、ドガはゲーテムをモデルに雇って賃金を支払った。

この作品が1881年、第6回印象主義の展示会で公開されると、人々は驚愕した。美しく見えるどころか、貧しい踊り子の悲惨な現実と肉体の苦痛をそのまま表していたからだ。顔が歪んでいて、自分が望まないことを強要される姿に見えたりもした。

彫刻の材料も議論を呼んだ。青銅ではなく蝋であるうえ、実際の髪の毛でできたかつらとバレエ衣装を着用していた。ドガは、ヘアリボンとチュチュを除くすべての部分を蝋で覆った。現代彫刻の新しい試みという好評もあったが、醜いという非難のほうがはるかに多かった。日常のオブジェが美術と結合し始めたのは20世紀以降だから、当時の人々には衝撃にならざるを得なかった。

ドガの彫刻は、作家の死後に認められた。蝋の複製品だけでなく、28点が青銅で製作され、世界の主要美術館に所蔵された。一方ゲーテムはどうなったのだろうか?議論の展示後、バレエ団から解雇された。モデルに立つため、授業に頻繁に欠席したためだった。その代わり、作品の中で永遠のバレリーナになった。