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生きていてくれてありがとう

Posted August. 25, 2023 08:28,   

Updated August. 25, 2023 08:28

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幸せになりたい。朝、病院で切実に幸せになることを願ったことがある。世の中で幸せから一番遠く離れた場所は、病院ではないだろうか。ここに来ると、あらゆる心配や不幸が生じ、幸せとはとても遠くて感傷的な贅沢のように感じられるからだ。私は手術中の子供を待っていた。

2番目の子供が3歳の時に、小さな手術をした。簡単な手術とはいえ、3歳の体に全身麻酔をかけ、お腹に小さな穴を開けて進める手術だった。私は保護者として、手術室の入り口まで子供と一緒にいた。無菌服を着て子供を抱いていたが、麻酔剤が投与されるやいなや子供はばったり倒れた。紙人形のように私の胸に倒れこんだ。「眠っているから心配しないでください。手術室に入ります」「先生、よろしくお願いします」。のどが詰まった。しかし、私にできることは何もなかった。子供を見送って外に出ると、空いた廊下だった。ぽつんと一人になると、ドッと涙が溢れた。落ち着かない気持ちで、じっと座っていられなくて、廊下に立ったまま子供を待った。

焦る時間はゆっくりと流れた。その時間がとても怖くて、私は子供たちと幸せだった瞬間を思い出した。何も起こらなかった平凡な一日。寝坊して抱きついてきた朝。アイスクリームを食べながら、トボトボと帰ってきた路地。クレヨンで描いた母の顔をプレゼントしてもらった両親の日。眠っている子供たちを覗いて、キスしてやった夜。過ぎてから、遠くなってから鮮明になった。私、本当に幸せだったんだ。幸せから一番遠い場所で幸せを見つけた。子供が出てきたら抱きしめてやらないと。その時、私に一番近くて切実な幸せは抱擁だった。手術は無事に終わった。母親を見つけて★、おいおい泣き出した子供を長く抱いてやった。

真夜中に、眠っている子供を見守った。あまりにもぐっすり寝ているので、生きているのか突然怖くなった。子供の鼻に手を当ててみて、体を見て触ってみた。指先に感じられるか弱い息遣い、ドキドキする心臓の鼓動と暖かい肌。子供は生きていた。一体何だろうか。眠っている子供に触ってみて安堵するこの気持ちは。生きているということは、実はあまりにも危険で弱いことかもしれない。小さな人間が息をして育つのは、当然ではなかった。奇跡のようなことだった。

気が付いた。私の体から出て、泣いて笑って寝て痛くて眠り、再び目を覚ますこの命を私は愛する。何も望まなくても、誰かを愛することは可能だね。私の心配と悲しみと痛み、そして幸せ。いつの間にか、私のすべての理由になった子供の髪の毛をそっと撫でた。生きていてくれてありがとう。子供が病気の夜、生きている子供に触ってみて安堵する夜が、世の中のすべての親に秘密のように留まるだろう。