アウトドア・スポーツ・コリア(OSK)代表取締役社長のユ・チソンさん(52)は2019年以降4年ぶりに250キロを走る砂漠マラソンに挑戦する。24日(現地時間)から30日まで6泊7日間、チリのアタカマ砂漠を走り抜ける。今回で24度目になる250キロに及ぶ砂漠マラソン挑戦だ。2020年に拡大された新型コロナ禍がなかったら、さらに数回は砂漠を訪れていただろう。
「1990年代末、アフリカ、リビアで建築設計士として働いていた時、テレビで砂漠を走る人たちを見て『自分もやってみたい』と思いました。建築の仕事からビジョンを見出せずに韓国に帰って2001年から走り始めました。そして2002年にサハラ砂漠に渡りました」
物凄い苦痛を耐えなければならなかったが、大自然の胸の中で温かさを感じた。ユさんは「自然と自分が一つになる気持ち、想像を超える自然との調和を経験した」と語った。ユさんは「私は少しでも居心地が悪いと眠れないのですが、砂の風が吹いて足の裏が水疱に破れても異常に砂漠に行くと元気が出る」と話した。
「最初の挑戦では情報不足で靴下を誤って履いて苦労をしました。薄手の速乾素材の靴下を履くべきだったが靴下が手に入らず、やや厚めのものを履きました。シューズもやや大きいめが良いと思ったけど、シューズの中に砂が入り、5日目には足裏全体に水ぶくれができて肌が完全に破れました。それでも包帯で巻いて完走しました」
体重が90キロを超えていたユさんは砂漠マラソンの準備と完走をしながら67キロまで落ちた。一度も走った経験がなかったユさんは、歩くことから始め、1キロ、5キロ、10キロと徐々に距離を伸ばした。ユさんは「5キロを超える時が一番苦しかった。10キロを超えた後は、20キロ、30キロまで簡単に距離を伸ばし、40キロ、50キロの長距離走をほとんど毎日行った。大会を控えては山も走った」と言う。
砂漠マラソンは「地獄のレース」と呼ばれる。サハラは摂氏50度を超える砂の上を走る。砂の風にも立ち向かわなけばならない。サハラマラソン初出場の時は寝て起きたら砂の中だったほど風が強かった。ゴビ砂漠は渓谷と山と砂漠を渡る。アタカマは標高4000メートルを超える高地を走り、高山症を克服しなければならない。南極マラソンは寒さとの戦いだ。一言で極限を集大成した大会だ。ユさんは、「極限と戦っているようだが実は自然に順応する過程だ。勝とうとするのではなく、大自然に適応しながら前に進むことだ。毎日、その日の距離を無事に完走すれば『今日も自然と一つになった』という達成感と安堵感が押し寄せてくる」と話した。
初大会は準備不足だったが、2003年、再びサハラ砂漠を訪れたときからはきちんと装備を備えた。ユさんはサハラと峠、アタカマ、南極を完走する世界砂漠マラソングランドスラムを2007年に初めて達成し、2013年二番目のグランドスラムを完成した。グランドスラム2回達成は世界でユさんが唯一だ。50キロ、100キロ、160キロのウルトラ・マラソンはもちろん、9泊10日間560キロを走る豪州のアウトバックレースなど世界の極地マラソンはほとんど参加した。このため「奥地ランナー」というニックネームも得た。
2013年からは砂漠マラソンに参加しながらも、国内では山岳マラソンの「トレイルランニング」大会を企画して開催した。2014年にコリア50Kフリーレースを開催し、2015年には京畿道東豆川(キョンギド・トンドゥチョン)でコリア50Kを立ち上げた。嶺南(ヨンナム)アルプス・トレイルランニング(現蔚州トレイルナインピーク)もユさんの作品だ。11月に開かれる鬱陵島トレイルランニング大会も3回目だ。
「トレイルランニングは砂漠や山岳などを走るんです。海外に出てみたら、国内にも自然の中を走りたいと思う人々が多かったです。最初は一部の人々と砂漠マラソンに一緒に出場したんですが、ある瞬間、他の人たちにも自然と共にする瞬間を感じさせてあげたかったんです。まだ一部のマニアたちが参加する水準だけど、自然を走りながら喜んでもらうことに満足感を覚えている」
4年間、大会の開催など事業に集中しているうちに体重が少し増えた。しかし、着実に走っていたし、最近の集中トレーニングで4年前の80%の状態に体も作った。ユさんは「砂漠に行くと皆が尊重される。挑戦そのものに拍手を送ってくれる。優勝など順位は全く重要でない。4年ぶりの挑戦、また胸がわくわくする」と笑った。
梁鍾久 yjongk@donga.com