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科挙制論争にも劣る21世紀のキラー問題論争

科挙制論争にも劣る21世紀のキラー問題論争

Posted September. 16, 2023 08:37,   

Updated September. 16, 2023 08:37

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21世紀の韓国で最も重要な人材選抜試験は、大学修学能力試験(修能)だ。600年前の朝鮮ではその役割を科挙がした。今、大学に行くには修能を受けなければならず、朝鮮時代に成均館(ソンギュングァン、現在の国立大学に相当)に入ったり、官僚になったりするには科挙に合格しなければならなかった。

科挙をどのように運営するのか、当時、一種の教育、あるいは入試論争があった。朝鮮初期の「講経と製述の論争」である。講経は、試験官が受験生を一人ずつ呼び、「圧迫面接」を通じて四書五経を体得したかどうかを問う方式だ。倫理性を備えた人材を選抜することができるが、時間と費用がかかり、人脈に合否が左右される恐れがあった。製述は、受験生が科挙で与えられた主題に対する考えを答案用紙に論述する方式だ。文章力を検証するのに適しており、公文書の作成が得意な人を選ぶことができ、採点が公正だ。何が良い人材選抜方法かという議論に世宗(セジョン)まで参戦した。

これは世宗中期の「詩学と経学の論争」につながった。詩学は、作詩、つまり文芸創作である。経学は、儒教の経典をもとに国家運営に必要な知識を学ぶことだ。何がより重要か。当時、詩は朝鮮と明の外交戦の手段の一つだった。要求事項を詩で書いてやり取りしたので、文戦(文の戦争)とも呼ばれた。経学は民衆の生活を論じた。朝鮮後期の代表的な経学者が『牧民心書』を書いた丁若鏞(チョン・ヤクヨン)だ。一見、漠然とした理念、党派の議論のように見えるが、その裏には朝鮮の苦悩があった。人材を選抜する際、倫理性が先なのか、能力が先なのか。弱小国が強大国を相手にどうやって生き残るのか。民衆の生活をどうするのか・・・。教育と入試は、最終的に国家の存亡と民衆の生死を考慮しなければならないという意識が根底にあったのだ。

2023年の韓国は、外交、技術、経済の激変期で先端人材が切実だ。基礎科学を支える物理学の人材、少子高齢化を解決する人文社会の人材も必要だ。しかし、学生は減り、子どもは医学部ばかりを目指す。資源もなく、土地も狭い国が生き残る道は人材だけだ。教育はその戦略的方向性を提示しなければならず、それが教育論争の本質でなければならない。

最近起きた韓国の「キラー(超高難易度)問題論争」を振り返ってみる。6月15日に尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が突然、キラー問題を削除するよう指示し、議論の末、9月の模擬評価で一段落した。受験生の間では「9模」ではなく「尹模(尹錫悦模擬評価)」だったという声もある。

しかし、3ヵ月間、大統領、教育部、国税庁が動員され、教育現場を巻き込んだ議論は何を残したのか。キラー問題が消えた場所には、難易度の低い準キラー問題が埋まり、教育は何も変わらなかった。「キラーはなかった」という発表に大統領は満足するかもしれないが、残ったのは異例的に急増したN浪人と内心笑う予備校だけだ。抑えたい私教育費がむしろ増えることになる。国家の存亡、国民の生死のようなものはどこにもない。このような無益な議論に3ヵ月間、国全体が騒ぎ、国力が消耗される事態は誰にとっても得策ではない。教権侵害と教師の死で崩壊した学校を立て直すことも大変な昨今ではないか。