ヘレニズム時代は大理石彫刻の全盛期だった。その中でも最高の傑作がラオコーン像だ。巨大な海蛇に噛まれて死んでいく父と2人の息子を描いたこの作品の背景はトロイ戦争だ。長年の包囲でトロイ最高の将軍ヘクトールまで排除したにもかかわらず、ギリシャ連合軍はトロイを陥落させることができなかった。諦めようとした時、オデュッセウスがトロイの木馬作戦を提案する。トロイの木馬の中に兵士を隠し、ギリシャ軍は撤退したふりをする。トロイの人々は歓喜し、ギリシャ軍が残した木馬を勝利の象徴として城内に引き入れようとした。
この時、トロイの預言者ラオコーンとカサンドラがこれはギリシャ軍の悪巧みだと警告する。ラオコーンが木馬の腹を槍で突き刺した瞬間、ギリシャ側だったポセイドンが巨大な海蛇を送り、ラオコーンと2人の息子を襲う。ラオコーン像はこの劇的な瞬間を描いたものだ。
カサンドラも木馬の危険性を警告したが、ギリシャの神々がすでにカサンドラが何を言っても人々が信じない呪いをかけていたため、誰も彼女の言葉を信じなかった。その夜、木馬の中に隠れていたギリシャの兵士たちが城門を開け、トロイは滅びる。
この作品でラオコーン像は、絶望する人間、死の恐怖、自分と息子の死と祖国の滅亡を防ぐことができない挫折を全身と表情で表現したと評される。しかし、ラオコーンの本当の苦悩は、真実を受け入れられない大衆ではないだろうか。トロイの市民は戦争が終わったという喜びのあまり、策略にまんまとはまり、ラオコーンとカサンドラの警告を受け入れなかった。
これはトロイ滅亡の教訓であると同時に、古代ギリシャ民主政の苦悩だった。ギリシャは民主政の全盛期を迎えたが、真実よりも聞きたいことだけを聞きたいという大衆の欲望、その欲望を利用する狡猾な政治家たちの扇動に勝てなかったときに崩壊してしまった。ラオコーンの絶望とカサンドラの呪いは、民主政の苦悩に対する警告であり絶望だ。彫像の作者はこのようなメッセージを伝えたかったのではないだろうか。
歴史学者