一目惚れする時がある。初めて見たその瞬間に決定される。心がどきどきするのは、意外とあっという間だ。「なぜ惚れたのか」と聞くと、返事がすぐに出ない。理由を考えて惚れたわけではないからだ。詩を一つや二つ読んでいるわけではないのに、この詩は最初に読んだときから「とても良い」という反応が先にあった。人が人ではないものに惚れることもありうるということを、ファン・インチャンのこの作品は知らせてくれた。
この詩には説明が多くない。コメを洗う夕食は近くに見え、愛する夢はかすかに見える。しかし、詩を読みながら、私たちは自然に理解するようになる。ご飯を食べる今日は皮で、その人を愛していた昔が中身だ。その人を失った私は鬼で、その人を愛する私だけが本物だ。詩人はそれをぼんやりと描き出すが、読者ははっきりと理解する。
「君はそんなことをどうやって全部覚えているの」。詩人の他の詩「イメージ写真」に出てくる一節だ。そうだ。詩人は記憶できないことを記憶する人、失っていく記憶も探してくる人だ。愛を失った人に記憶まで消えたら、どんなに恐ろしいことだろうか。「あなたは行ったが、私はあなたを送らなかった」という歌の最も美しく繊細なバージョンがまさにここにある。