詩の題材にしては珍しいエピソードだ。妻の病気治療のために医者を呼んだ詩人は、治療費に耐えられないと言って、家の家妓をその代価として払うつもりだ。これはひょっとして冗談ではないかと思ったが、気の利く家妓は、「こういう事情を察し、奥様に元気でいてほしいとお別れの挨拶をする」状況になり、覆水盆に返らず。辛棄疾、北宋の故土修復を主張し、主和派との対立の末に官職から追い出され、憂国の鬱憤を吐露した作品を多く残し、愛国詩人として崇められている人物だ。都落ちした後は、田園生活のゆとりを盛り込んだ詩も多く作り、一時は豪華別荘を建てたという噂が流れたこともある詩人が、実際このように貧しく暮らしたのかは疑問だ。「私が楽しんでいた歌舞は寂寞になった」と言ったことから見て、暮らし向きが悪くなったというより歌舞に対する興趣が消え、ついでに家妓を出そうとしたのではないか。
家妓は、歌伎とも表記することから分かるように、妓女というよりは歌舞に長けた芸人の意味が強い。家妓は宋代に大盛況で、士大夫たちは家妓を置くことを慣行のように考えた。歐陽脩や蘇軾なども家の中に10人ほどを置いていて、辛棄疾の場合、作品に名前が登場する家妓だけで7人もいる。「胡ホサグン」は曲調名、内容とは関係ない。